2010年11月1日(月)
真吾オジサンの雑感
「日本人が失くしたもの」について。
真吾オジサンは、バブル期以降の日本人が失くしたものの一つには「恥」があるように思います。
これはバブル期というよりも、戦後かもしれませんね。
「恥」のほかにも、日本人の誇るべき良き慣習のようなものが、もう死滅したのではないのか?とさえ思うことがあります。
「ミーイズム」のようなものばかりのような気がいたしております。
若い方でも、高齢者の方でも、そのように思います。
こうなっている原因の一つに、真吾オジサンは宗教の問題があるように思います。
宗教を反動的なものと決めつけて忌避することは良くないことだと思います。
了見が狭いように思います。
また、宗教団体も宗教団体で、出版されておられる本を拝見しても、何だかサークル活動のようなことばかりが書いてあるように思います。
方便でそのようにされておられるのかなぁ・・・
時流に合わせてということなのか・・・
そういった宗教団体に所属されておられる方のお話を聞いても、「どれほど熱心にされておられるのかな?」と思うことがあります。
真吾オジサンの目には、「寂しさから多少なりとも逃れたいがために、その団体に取り敢えずいらっしゃるだけだな」と映る方が多いのです。
そういった方自身は否定されるでしょうが、真吾オジサンに言わせれば、こういった方は今自分の普通の方とそれほど変わるものではないように思います。
儒教でも、仏教でも、神道でも、道教でも、キリスト教でもいい。
もっと、日本人はこのようなものに触れる機会が増えるといいなと思います。
このようなことを書いてある本を、「荒唐無稽な本」として毛嫌いするのではなく、「先人が折角残されてきたもの」と思いましょう。 ^^
そうされるときっと素敵な言葉にも出会えるでしょうし、日常生活で生かせることだってあると思います。
損か・得かや、合理的か・否かとかばかりの人を、真吾オジサンは好みません。
どうも面白くない人なのです。
でも、真吾オジサンが最近会った人は、このような人が実に多いように思っております。
もしかしたらその方が優れているのかもしれませんが、もう少し、心に余裕のある方の方が真吾オジサンは素敵だなと思います。
真吾オジサンに言わせれば、心に余裕を持たせてくれるものは、信仰の世界のように思います。
根拠はないのですが、経験上そのように思っております。
そう思われませんか?