2010年12月27日(月)
真吾オジサンの雑感
「阿久悠さん」について。 その2
昨日の雑感で、ご紹介申し上げた、阿久悠著「作詞入門」(岩波現代文庫)に、このようなことも書いてありました。
今日も引用させて頂きますね。
時代の飢餓感をとらえる
ぼくは、テーマ選びの基本姿勢として、時代の飢餓感を見きわめ、とらえることをいちばんに置いている。
今の社会でいちばんほしいものは何だろうか。
それは愛なのだろうか。
やさしさなのだろうか。
陽気さなのだろうか。
激しさなのだろうか。
新しさなのだろうか。
古さなのだろうか。
便利さなのだろうか。
不便さなのだろうか。
金なのだろうか。
自然なのだろうか。
文明なのだろうか。
原始なのだろうか。
強さなのだろうか。
弱さなのだろうか。
リンゴなのだろうか。
グレープフルーツなのだろうか。
裸なのだろうか。
正装なのだろうか。
純愛なのだろうか。
ポルノなのだろうか。
無限にあるそういったものを、常に社会の動きを見ながら考えているのである。
その中には、もちろん、ぼく自身の飢えも含まれているし、時代の飢えも含まれている。
そういった満たされない部分を補ってやるのが、歌の持つ一つの使命ではないかと考えている。
しかし、ここで気をつけねばいけないのは、飢餓状態にあるものと、現在ないものとはイコールではないということである。
(略)
他のお仕事でも、同じことが言えるように思いました。
このモノもサービスも溢れかえっている平成の御時世でも、やはり飢餓状態になっているモノ・ことがある筈です。
阿久悠さんから、いいことを教えて頂いたような気分になっております。 ^^