2010年2月15日 (月)
真吾オジサンの雑感
「鷹揚」について。
広辞苑を引きますと、「@(鷹が空を飛翔するように)何物も恐れず、悠然としていること。」とあります。
最近、このような方がどの世界でも少ない・いないのではないかと思うのです。
相撲の世界でしたら、白鵬関がこの言葉にぴったりだと思います。
現役時代の貴乃花関などもこの言葉が似合うように思います。
野球の世界でしたら、王貞治。
将棋の世界でしたら、大山康晴・木村義雄。
人知れぬところでの御努力あってのことかと思うのですが、それを余り表に出さない・出ないところが、私は好きなのです。
確か、大山名人の上梓された著書であったかと思うのですが、「大東亜戦争」の経験のことが書いてありました。
名人は、いろいろと、戦争の理不尽さも味わわれたそうです。
最近では、大東亜戦争を経験された方が少なくなってきました。
この戦争を経験された方々は、戦後の20数年も経って生まれました私の拝見するところ、どこか肝が据わっているように思うのです。
戦地へと向かった経験のある、全くの市井の方でも、多く言葉にしなくとも、どこかそのように感じられたものです。
翻りまして、最近の風潮はどうでしょうか?
マスコミをはじめ、政治、いろいろな社会の現場では、饒舌ばかりです。
わたくしなどは、もうそれらに食傷気味です。
こうなっているのは、私の拝見するところ、大衆消費社会の行き過ぎなのではないかと思えるのです。
ただ、大衆消費社会の文化でもよい。
問題なのは、そちらばかりに傾くのは良くないと思っているのです。
「減らず口」の文化などは、浅薄なものが多いように思います。
「ああいえば、こういう」文化も、もう少しどうにかならないものか・・・
わたしなどは、「鷹揚たる方・鷹揚たらんと心掛ける方」を、邪推を以て卑しめようとする輩が多すぎるように思うのです。
濁世とはいえ、残念なことです。