2010年2月28日(日)
真吾オジサンの雑感
「邪見の刃」について
「邪見」というのは、仏教用語です。
「五見」・「十惑」の一つです。
この「邪見」は、中村元著の「佛教語大辞典」に依りますと、「B 因果を撥無する見解。因果の道理を無視するまちがった考え。五見・十惑の一つ。一切の妄見はすべて正理に相違するものであるが、因果を撥無する妄見は、その過が最も重いので特に邪見と名付ける。有為のもろもろのダルマの間にはたらく因と果の関係を認めない誤った見解。善悪の区別を否定する見解。」とでております。
「十惑」は「身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見の五見なる五利使と、貪・瞋・癡・慢・疑の五鈍使とをいう。」と「佛教語大辞典」にでております。
「撥無」とは「撥は、除く、無はなみする、の意。否定する。払いのける。存在を否定すること。なしと考えること」だそうです。
その「邪見」の「刃」なのです。
広辞苑に依りますと、「邪見が鋭く人を害することを刃にたとえた語」だそうです。
心したいものである。