2010年3月10日(水)

 

真吾オジサンの雑感

 

 

「小粋な鑑賞」について。

 

 

真吾オジサンは、以前、歌の世界では「歌手」・「作曲家」・「作詞家」が「三位一体」になったときに、いい表現が生まれるのだと思っておりました。

 

まだまだ、お尻が青かったようです。

 

上記の3つが重要なことは、言うまでもないことです。

 

 

ただ、その表現者と夢を共有している方々のことも忘れてはならないのです。

 

表現者と夢を共有する方々には、大きく分けて二通りの方がいらっしゃると思うのです。

 

まず、その表現者を文字通り、舞台裏で支える、所謂・業界関係者の方々や身内や知人・友人の方々。

 

そして次に、鑑賞される方々。

 

 

今回は、この「鑑賞する方々」について雑感を述べたいと思います。

 

 

わたくし、真吾オジサンは一口に「鑑賞者」といっても、実にいろいろな方がいらっしゃると思うのです。

 

様々な鑑賞者の方々は、世間の縮図といってもよいと思うのです。

 

マナーの良い方もいらっしゃれば、悪い方も少なからずいらっしゃるかなと思うのです。

 

 

全く、その表現者に関心を持たない人に比べれば、マナーの悪い人でも、有難い場合もあるかもしれません。

 

しかし、同じ鑑賞をするのなら、その表現者の良き理解者であろうとする方が、その表現を多く楽しむことができる・受信できると、真吾オジサンは思うのです。

 

表現者の良き理解者たらんとする気持ちがあれば、自然にマナーの悪いことなどできなくなるものです。

 

真吾オジサンなどに言わせれば、こういった鑑賞の仕方こそが、大人の楽しい鑑賞の仕方だと思うのです。

 

 

例えば、歌のコンサートでしたら、主役の歌手ばかりでなく、ステージの準備をされている方々や実に様々な関係者のことに思いを馳せながら鑑賞をする・・・

 

そのステージには、コンサートチケットを笑顔で切ってくれた方や、舞台裏で、もしかしたら誰からも褒められることもない地道な仕事をされている方々の、夢が託されているのです。

 

 

「どうせ、同じ鑑賞をするのなら、彼らの夢を私も共有しよう」という気持ちを持って鑑賞される方が、より楽しいコンサートになると、真吾オジサンは思うのです。

 

鑑賞者の気持ちの持ちようだけで、同じステージの見え方が異なるのです。

 

どうせ同じお金を払ったのなら、自分の気持ちの持ち方など無料なので、そう思って楽しまなきゃ、損損。

 

 

良き鑑賞者が、良き表現者を育てるようにも思われるのです。

 

更に、この次のステージがますます、楽しみになる訳です。

 

 

どうです? 「小粋」な鑑賞の仕方だと思いませんか?

 

 

 

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