2010年4月15日(木)
真吾オジサンの雑感
「バッハ」について。
日本キリスト教団出版局さんが、ヘレーネ・ヴェアテマン著・村上茂樹訳の「神には栄光 人の心に喜び J・S・バッハ その信仰と音楽」という本を、ご出版されておられます。
今日は、この本から引用させて頂きます。
・・・カノンは最も厳格な音楽形式である。
1732年に出版されたヨーハン・ゴットフリード・ヴァルターの音楽事典によれば、
「なぜなら最初の声部は残りのそれに続く声部の指針にならなければならない。
そしてその他のどの声部も少しも迷わせてはならないからである」と述べられている。
この理由により、十五世紀以来、カノンは神の秩序の写しであった。
あらかじめ定められた規則を持ち、古来よりバロック時代まで有効な音楽解釈であった数による秩序の中にある音楽は秩序正しい宇宙の写し、つまり創造の写し、
そしてまたキリストにおける神の啓示のごとくであった。
したがって長調の三和音は三位一体を象徴し、単調の三和音はキリストが人間になったことの象徴であり、
三拍子は「完全な拍子(tempus perfectum)として神の絶対性、完全無欠を象徴していたのである。
たとえバッハがその作品の中で行った数象徴の使用を最後の一つまで詳細に確定し、証明することが今となってはもはや不可能であっても、
バッハが確かにその知識を持ち、そして使用していた数象徴のとても豊かな世界がそこには存在するのである。
しかしまた、バッハの作品をとりわけ数から理解したいと望むことはおそらく間違いである。
なぜなら数象徴は音楽を完全なものとするために、後から補足的に付け足されたものではないからである。
さらに数象徴は、「あなた(神)は、長さや、数や、重さによって全てを整えられた」という聖書の中の「ソロモンの知恵」に記されている神の創造原理に類似しているかのように、
初めから作曲の技法、すなわち結び付けるための技法(ars combinatoria)であったのである。
そしてまた、音楽は聴く者がその音楽の象徴とその音楽の類似性を知っていようが知っていまいが、聴く者に作用したし、また作用するのである。・・・(略)