2010年4月26日(月)
真吾オジサンの雑感
「後講釈」について。
広辞苑によると、【後講釈】は「結果が分かってから、いろいろと理屈をつけて説明すること。」とあります。
真吾オジサンの経験では、この後講釈を好む人が多いこと、多いこと。
真吾オジサンがこの手の人によく感じることは、その時々の現場の当事者意識が欠けているように思うのです。
マスコミのコメンテーターと称する人にも、この手の人が多いように思います。
「陰謀」と称するものも、この後講釈に過ぎない物が多いように思います。
将棋で言えば、投了した後で、やっぱりそんなことだろうと思ったなどと並べ立てる、将棋の弱い第三者のようなものです。
みっともないと思わないのですかね?
当事者は、いろいろな変化や第三者ではそこまでは考えないだろうということを読んでいるものなのです。
後講釈を好むうちは、まだまだ一人前とは言えないように思います。
沽券を保ちたいばかりに後講釈をする人は、それを処世術とでも思っているのですかね?
一度、頭をからっぽにして、ゼロからスタートするくらいの気持ちになられた方が、生きていく上でより良い結果になると思いますよ。