2010年5月12日(水)

 

真吾オジサンの雑感

 

 

「グレゴリオ聖歌」について。 その2。

 

 

今日も、「癒しとしてのグレゴリオ聖歌」(柏書房、キャサリン・ル・メ著)から、引用します。

 

 


 

ドは始まりで、全体の上昇を決定づける、最初の力強い思いつきです。

 

レは、この思いつきの実現に向けて、仮に一歩を踏み出してみた音です。

 

まだここまでの段階では、簡単に説得されて引き返すこともでき、決意を翻してドに戻るのも可能です。

 

ミの性質には、実際に一歩前進し、今後も上がっていける、しかも楽しく上がっていけると分かった喜びが現れています。

 

 

オクターブのこの時点で、それまでのドからレ、レからミという2つの音程とは異なる音程が現れます。

 

その音程はより小さいのですが、ここから先を続けて行くのには本格的な努力が必要です。

 

「アーメン」という言葉は、しばしばファからミというメロディーで歌われます。

 

それを考えれば、いくらか胸を締めつけるようなファという音は、まだもとのミへ、さらにはドへと戻ることもできるでしょうし、

 

あるいはさらに上っていくこともできるのだということが理解できるでしょう。

 

 

ソの音の性質は、それとはまったく異なったもので、輝かしく勝利の喜びに満ちた音です。

 

それまで不確かだったすべてのことは解決し、エネルギーと情熱にあふれ、先に進む手助けをしてくれます。

 

ソは、オクターブの中では属音と言われ、はちきれんばかりの力強さを持っています。

 

オクターブの次の音はラです。

 

ここでは、ソであれほど明るかった輝きは失われ、上に向かっていることは明らかなものの、

 

「あなたの御心が天と同じように地上にもなされますように」というような甘受の性格が見られます。

 

 

シの音に至っては、もう帰ることは不可能です。

 

上のドに手招きをされたシは、自分の力だけではオクターブの決定は不可能だということを自覚して、天上からの慈悲と恩寵を受け、上のドとの完全な合一を果たします。

 

上のドの1秒間の振動数は、最初のドのちょうど2倍にあたります。

 

これでオクターブは完成で、当初意図されたことはすべて満たされました。

 

 

中世の人々にとって、オクターブとは音楽の展開を支配するだけではなく、他のすべての重要な出来事の然るべき順序を決定しているものでした。

 

オクターブは、世界の本質そのものに備わっている法則だと考えられており、すべてはその法則に従うものとされていました。

 

(略)

 


 

ぜひ、この本も面白いので、機会がございましたら読んでみるといいと思いますよ。

 

 

 

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