2010年5月29日(土)

 

真吾オジサンの雑感

 

 

「いき」について。

 

 

「岩波 哲学・思想事典」に「いき」のことがでております。

 

それによりますと、「いき」は、

 

「文化文政期に深川の遊里を中心に発達し、江戸の一般庶民の間に広まった美意識。九鬼周造によって、『垢抜けして(諦め)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)』と定義されている。

 

(略)

 

しかし、寛政の改革などを契機に吉原は次第に衰退し、それに代わって下層町人が自由に遊べる岡場所(私娼地)のあった深川が繁栄するようになり、そこに<いき>の精神が生まれた。

 

<つう>は男客の美意識であったのに対して、<いき>は、吉原の遊女とは全く異なったタイプの、深川芸者が生みだしたものである。

 

(略)

 

また、遊女とは違って、茶屋に出向いて芸を売ることを表向きの本業としており、気に入らない客であれば忌避できる「さし」という習わしなどもあって、

 

金だけでは動かされないプライドをもっていた。

 

(略)

 

<いき>は集団志向の強い日本文化の中で、自他の対立を前提とした都市文化が築いた、女性中心の美意識として独自の意義を有している。」

 

 

九鬼周造著の「『いき』の構造」には、

 

「媚態」とは「異性の制服をめざして接近しながらも、精神的合一をあえて拒否し、異性との緊張関係を持続させることによって生まれる<色っぽさ>のことである」そうです。

 

「意気地」とは、「異性にもたれかからない<心の強み>としての<張り>のことであり、その起源は武士道の<道徳的理想主義>にある」そうです。

 

「諦め」とは、「異性との離別を、運命としていつでも甘受しうる、執着を離脱した『あっさり、すっきり、瀟洒たる心持』のことであり、その起源は仏教の<宗教的非現実>にある」そうです。

 

 

真吾オジサンは、「いき」な女性が好きです。

 

 

 

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