2010年5月7日(金)
真吾オジサンの雑感
「沽券・威厳・見栄」について。
広辞苑によりますと、「沽券」は「人の値打ち。品位。体面」とあります。
「威厳」は、「堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。」とあります。
「見栄」は、「他人を意識し、自分をよく見せようとすること。体裁をつくろうこと。」とあります。
誰しも、多かれ少なかれ、沽券も・威厳も・見栄もあるでしょうね。
ただ、これも大切な機会が多いとも思うのですが、程々にしたいものです。
今回の雑感は何かの本で読んだ覚えがある、将棋の世界の大山康晴名人のエピソードのひとつを紹介しましょう。
大山名人は、将棋の普及に大変、ご尽力をされた方です。
アマチュアの指導対局も多く指されたそうです。
このようなことがあったそうです。
企業か、学校か、将棋道場かで、大山名人が指導対局に来られることになっていたそうです。
その会場にいち早く到着された大山名人、何と、その会場で机を並べ直されて、ご自身でその日の準備をされてしまわれたそうです。
ここでお断りしておきますが、大山名人は、暇人などではなかったのですよ。
スケジュールは、物凄くつまっておられたそうです。
大山名人は、プロ同士の対戦の最中でも、他の仕事が入って、席を外さざるを得ないこともあったそうです。
そのくらい忙しい方だったそうです。
世間には、いろいろな先生がいらっしゃいます。
様々な場で、ご指導に当たっておられる方もいらっしゃいます。
そのような方々は、ぜひ、上記のエピソードをよく覚えていてくださいね。
大概の「先生方」は、それぞれの場で、大山名人ほどの実績を上げてはいらっしゃらないはずですから。
こういう先生・指導者が増えるといいなと思います。
この大山流の指導の是非は知りませんが、そのくらいの感謝の気持ちで指導に当たることも必要かと思います。
学校の先生方で、例えれば、どうも教室が汚れているなと思えば、朝一番に学校にいって自ら掃除するようなものです。
相撲でいえば、白鵬関が、地方巡業に行かれた時に、その会場の設営を「私は力自慢だから」とでもおっしゃられて、率先してされているようなものです。
野球でいえば、王貞治さんが、一人でグランド整備をされているようなものです。
実際にそうされると、かえって関係者が恐縮してしまうこともあるかと思いますが、
「いつでも、そのくらいのことは喜んでするよ」くらいの気持ちを持ってもらいたいものです。
上記の大山名人のエピソードを読まれた先生方は、どう思われましたか?
「沽券を保とうとしない、馬鹿な名人だ」「威厳が感じられない名人だな。この名人は軽し」「見栄ということを思わないのか、この名人は。貫禄がないな」とでも思われましたか?
そんなことを思う阿呆な先生でしたら、もうあなたには指導者の資質はないと言ってもいいと思います。
一度、ゼロからやり直すくらいの気持ちを持った方がいいと思います。
真吾オジサンは、多くの先生方は、そのようには思われないと信じております。
余程の馬鹿か、図々しい輩でもない限り、そのように先生・指導者にされると、いろいろな関係者や指導される人は、きっと、いろいろと思うところもあるはずですよ。
こうような大名人のお蔭で、将棋会館を建てるときには、実に多くの企業・人から多額の寄付が集まったそうです。
繰り返しますが、「沽券・威厳・見栄」も程々にしたいものです。
あまりにこれらに執着をされると、それ以上に大切な人、こと、ものを失うことになると思いますよ。