2010年6月6日(日)
真吾オジサンの雑感
「こういえばこう世界」について。
世間には、白黒のはっきりしないことが多いです。
数学、物理、化学、詰将棋、詰め碁の世界などは、はっきりしているように思いますが、
どうとでもいえる世界も多くあります。
ある問題に直面した時に、どうとでもいえる問題なのか、こういえばこうとなる問題なのか、白黒がはっきりする問題なのかを考えることは大切だと思います。
そのようにお考えになられると、必要以上に、考え込むことはないように思います。
例えば、政治の世界。
余程、馬鹿げた政策でもなければ、こういえばこうの世界です。
宗教なども、そうです。
熱心な信者さんは、謂わば、「宗教的確信」のようなことを思っていらっしゃるかな?と思うのですが、
所詮、宗教は、こういえばこうの世界に過ぎないことも知るべきです。
ある宗教団体が、他の宗派のことを批判することは、将棋にたとえてみますと、
将棋で言えば、「矢倉戦法にあらずんば、将棋にはあらず」とでもいっているようなものです。
相がかり戦法もあれば、振り飛車戦法だってあります。
腰掛け銀戦法だってあります。
他に、いくらでも戦法はあります。
「矢倉戦法と、振り飛車戦法と、どちらが真理の戦法か?」などと言っているようなものです。
結論がでる訳がないのです。
「それはそれ、これはこれ」「それぞれ」なのです。
結論がでないことに、熱中することも大切かな?とも思うのですが、所詮、誰がいくら考えても結論がでないということも、一方で知っておきたいものです。