2010年7月14日(水)
真吾オジサンの雑感
「魂魄観(こんぱくかん)」について。
「岩波書店」が「岩波 哲学・思想事典」という事典を販売されておられます。
この「岩波 哲学・思想事典」は、非常に良い事典だと思います。
真吾オジサンの持っているこの辞典は、アンダーラインだらけになっています。
まだ、ご覧になられていらっしゃらない方は、ぜひ、一度ご覧になってみて下さいね。
真吾オジサンは、随分昔に買ったのですが、その時の値段は「税別14.000円」でした。
この値段以上の価値は、十分にありました。
この「岩波 哲学・思想事典」にでている「魂魄観」から引用させて頂きます。
魂魄は、人の身体に宿ってその活動を支えている神秘的な力。
たましい、霊魂。
<魂>の字は、雲のようにもやもやとこもったもの、あるいは、それが回転しながら上昇する意味を表し、
<魄>の字は、曝されて白くなった骸骨を意味する。
陰陽二元論の考えにより、霊魂を魂と魄の二つに分けることは、中国に早くから見られる。
魂は人体を構成する<気>に依附して人の精神の働きをつかさどる陽の気の神霊。
魄は人の<形(体)>に依附してその肉体的な生命活動を支える陰の気の神霊であるとされる。
人が生きている時、魂魄はその身体中にあって活動を支えているが、死ぬと、魂は身体から抜け出て魂気となって天に昇り、魄はその形骸とともに地に帰るという。
人が死んだ時、近親者などが、屋上で死者の名を呼んでその魂を招きよせ死者を蘇らせようとする招魂(たまよばい)の習俗儀礼が行われた。
天上に昇った魂は<神(しん)>、地に帰った魄は<鬼(き)>と呼ばれる。
すなわち、魂魄は生時の称、鬼神は死後の称という違いがあるだけで、実は同一のものであり、中国の魂魄の観念は鬼神論の展開と密接に関わっている。
(略)
上記の事を知っておられると、日本の文化の理解にもなると、真吾オジサンは思います。
この「魂魄観」のみならず、実に有益なことが、いろいろと書かれてある「岩波 哲学・思想事典」です。
ぜひ、買いましょうね。