2010年7月20日(火)
真吾オジサンの雑感
「伝統的な世界の世代交代」について。
伝統を売りとする世界の多くが衰退しているように思います。
この原因の一つに、「世代交代」が上手く出来ていないことがあるように思います。
真吾オジサンは、とある御縁があって、「能楽」の「謡」のお稽古に参加させて頂いたことがあります。
謡の指導をされている人から誘われたのです。
指導者・真吾オジサンを含めて、たった5名のお稽古でした。
そのお稽古の指導に当たっておられた方は、齢80歳の男性でした。
次のお稽古にも参加するようにと言われましたので、真吾オジサンは参りましたが、今度のお稽古は、以前とは別の人が4人いるだけでした。
そのうえ、真吾オジサンは何の説明もされていないのに、勝手に某能楽の会の入会金を払えと突然言われて驚きました。
真吾オジサンは、それ以降、その能楽の謡の会には参加しなくなりました。
その後、真吾オジサンの携帯電話に、その会のお弟子さんから、電話が掛かってきました。
お弟子さん「今度の会には、〜というのを稽古します。 その謡本を買っておきます。」
真吾オジサン「・・・ 当面、忙しいので参加できないと思います。」
お弟子さん「・・・」
さらに次の週になって、その謡の会の指導者から電話が掛かってきました。
指導者「今日は、お稽古の日ですよ!!!」
真吾オジサン「・・・ 先日、お伝えしたはずですが、当面忙しいので・・・」
指導者「・・・」
真吾オジサンは、齢80の人に、もの申すことには気が引けたので、これ以上は言いませんでした。
このような調子では、伝統の世界が衰退するのも無理はないように思います。
高齢者が多く指導的立場にいるような世界では、大体、似たようなことが横行しているではないですかね?
若い方々に相手にされるわけがありません。
真吾オジサンくらいのオジサン・オバサンからも、まず、相手にされることはないでしょうね。
もう、このような人たちに期待するより、若い方が旗幟を掲げる方に期待したいものです。
明治には、正岡子規が「俳諧」「短歌」の改革をしました。
若き俊英が、正岡子規のもとに集まったのです。
今では、正岡子規以前の俳句などは「宗匠俳句」といって、相手にする人はおりません。
一顧だにされなくなったのです。
伝統的な世界の「世代交代」が望まれます。