2010年7月24日(土)

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

「五行大義」について。 その3

 

 

 

今日の雑感は、「五行大義 上」(明治書院)から引用させてもらいます。

 

 


 

 

(略)

 

このように陰陽道の安部・賀茂両家に人々は、或いは勘申の典拠とし、或いは歳徳・五墓・方違いの日数など、

 

所謂暦日の説明として、盛んに両家に伝わる秘本である「五行大義」を用いていた。

 

平安期においては、主として宮廷人に親しまれていた「五行大義」も、陰陽家の活動が盛んになると、むしろ陰陽家の専用物となってしまった観さえ感じられる。

 

この陰陽家を通して、「五行大義」の説は、それと関わりのあった多くの人々に影響を与えた。

 

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神道の中で、特に「五行大義」の影響の顕著なものは吉田神道である。

 

「吉田家書籍目録」(天理図書館、吉田文庫蔵)の第二冊目、雑の部に「五行大義五」と、

 

第三冊目、内教部に「神口道伝」「唯一神道名法要集」「神道大意」「神統実録」など吉田神道の根本経典二十三部と共に「五行大義五冊」と記されている。

 

この内教部に収められた書は、「五行大義」のほかは全て吉田神道の根本経典であることは、

 

卜部兼右筆「書籍目録」(吉田文庫蔵)所蔵も、「五行大義」を除き、全て神道関係の書であることと併せ、如何に「五行大義」が吉田神道に重用されていたかが解る。

 

更に第四冊目にも、和漢の書と一緒に「五行大義」の名も見える。

 

(略)

 

 

 

「源氏物語」の注釈書に「五行大義」が用いられていることは、平安朝の文学に陰陽五行説が影響していることを物語るものであろう。

 

 

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楽家においても、雅楽の書である豊原統秋の「体源抄」一三巻中に、第一五論律呂の文を四条引き、

 

また、矢嶋益音撰述の「赤県楽制考」の中にも、「五行大義」の引用、または五行説に拠る記述が多く見られる。

 

これに拠っても、楽家と「五行大義」の関係が密であったことが解る。

 

(略)

 

 

 

特に注目すべきは、「神皇正統記」及び「続神皇記」の記載である。

 

北畠親房は、「類聚神祇本源」神鏡篇の奥書に、この秘巻を借用したことから見えるように、度会(わたらい)神道の影響を受けてか、

 

「神皇正統記」や「東家秘伝」に、我が国の神々を五行に配当し、五行相克説に拠って、その隆替を論じているなど、陰陽五行思想が彼の著作の各所に見える。

 

(略)

 

 

 

この「五行大義」は、南北両王朝の関係者により、それぞれ自己の王朝の正統性を主張するために、盛んに利用されていたことが解る。

 

 

 


 

 

 

この明治書院の「五行大義」は、原文のみならず、「通釈」というところがあります。

 

「通釈」には、わかりやすく日本語で書かれています。

 

また、多く図があるので、これも一読者としては嬉しいことです。

 

 

 

日本の歴史・文化・芸術・芸能に関心のある方は、是非、一読しましょうね。  ^^

 

これらを、もっと、多く楽しめるようになる筈ですよ。

 

 

 

 

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