2011年1月22日(土)
干支:ひのと うし 九星:五黄 行事:黙阿弥忌・奈良若草山焼き 六輝:赤口 ちゅうだん:たつ 廿八宿:柳
真吾オジサンの雑感
「芭蕉のことば」について。
俳人の松尾芭蕉の弟子に、服部土芳という方がおりました。
この服部土芳は、松尾芭蕉と同じ伊賀上野の生まれの藩士で、無海流の槍術の達人だったそうです。
痼疾があったそうで、草庵に身を退いたのだそうです。
この服部土芳は、「三冊子」という名著を残されました。
「白冊子」「赤冊子」「黒冊子」の3部からなる本です。
この三冊子に芭蕉のことが書かれているのですが、今日の雑感は、これを御紹介させて頂きます。
引用させて頂きますね。 ^^
師末期の枕に、門人此の後の風雅をとふ。
師の曰く、此の道の我に出でて百変百化す。
しかれどもその境、真・草・行の三つをはなれず。
その三つが中に、いまだ一二をも尽くさずとなり。
生前折々のたはむれに、俳諧いまだ俵口をとかずとも云ひ出でられし事度々なり。
高く心を悟りて俗に帰るべしとの教なり。
常に風雅の誠をせめさとりて、今なす処、俳諧に帰るべしと云へるなり。
松尾芭蕉の容態が悪化し、いよいよ最後という時、枕辺につめかけていた門人たちは、先生の没したあとの俳諧に関してお尋ねをした。
先生は、「自分がこの俳諧の道に入ってから、その俳風もずいぶんと変化してきた。
しかし、その世界は、真・草・行の三つの判を出てはいない。しかもその三つの中の一つ二つさえも完全ではない。」
先生は、生前ときどき冗談で、俳諧はまだ序の口にも達していないともおっしゃられていた。
俳諧はこのようにむずかしいものであるから、俳人はその精神は俗界よりも高所におき、しかも身体は俗界に住んで俗をはなれぬようにせよ、
すなわち常に俗界の中にあって、心を高く澄ましておれという教えである。
しかも、風雅の誠をせめつけては、その境地を悟ることに精進努力して、全力を俳諧に集中せよといわれたのである。
真・草・行は、大体、書道で使う言葉ですよね。
「真」は、正確なゆき方、「草」は、自由なゆき方、「行」はその中間のゆき方です。
俳諧は、貴族文学ではなく、庶民文学なのです。
ただし、ただの俗の文学とは異なるとも、松尾芭蕉は教えているのです。
「和光同塵」ということばを思い出しますね。 ^^
このようにありたいものですね。