2011年1月31日(月)
干支:ひのえ いぬ 九星:五黄 六輝:先負 ちゅうだん:おさん 廿八宿:心
真吾オジサンの雑感
「季語」について。
俳諧の発句を縮めて、俳句というのですが、大体、その俳句には「季語」を入れるものだとされております。
「歳時記」は、この「季語」を集めたものです。
しかし、松尾芭蕉の弟子の服部土芳の「三冊子」には、このように書かれていることも知っておきましょうね。 ^^
朝よさを誰松島の片心
此の句は季なし。
師の詞にも、名所のみ雑の句にもありたし。
季をとりあはせ歌枕を用いる、十七文字にはいささか心ざし述べがたしといへることも侍るなり。
さの心にてこの句もありけるか。
猶、杖つき坂の句有り。
朝よさを誰松島の片心
これは先生(松尾芭蕉)の句であるが、この句には季語がない。
先生のお言葉にも「名所を詠ずる発句だけには季のない雑の句でも許されるというふうにありたいものだ。
わずか十七文字の句中に、季語を取り入れ、歌枕の地名を入れるとなっては、その詩情を述べるには困難を感じるということもあるのだ。」とあった。
そんなお心で、「朝よさ」の句のような季のない雑の句をお作りになったものであろうか。
なお季語のない先生の句に「かちならば杖つき坂を落馬哉」という句がある。
松尾芭蕉は、こうだったということを知っておきましょうね。
いい加減なことを言っている俳句の先生が多いように思いますので、書いておきました。
どうぞ、御参考に。 ^^