2011年10月2日(日)

 

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

 

勝負の世界について。

 

 

 

 

 

勝負の世界って、勝ちと負けと一緒に喜びと悲しみがありますよね。

 

まあ、誰しも勝てれば嬉しくもなりますし、負ければ悔しくもなるものですよね。

 

老若男女を問わず、まずはそうなるものだと思います。

 

 

 

ところで、こういう世間話を聞いたことはないですか?

 

高齢者同士が集まったゲートボール大会で、爺さん同士が顔を真っ赤にして相手を罵り合う・・・ ^^;

 

 

 

これ、どう思われますか?

 

円熟といえる姿でしょうか?

 

 

 

 

コンピュータ将棋「あから2010」と対局をされた女流棋士の第一人者の清水市代さんは、こう思っておられるそうです。

 

「閃け! 棋士に挑むコンピュータ」という本にこう書いてありましたよ。

 

 


 

清水市代は対局を、勝負であるとともに、「一緒に棋譜をつくりあげる共同作業」ととらえている。

 

棋譜をつくるとき、相手がいるから思い通りに進まない。

 

そこに、苦しさと楽しさとを感じている。

 

 

勝っても相手に誠意が感じられないとき、棋譜を一緒につくってくれていないと感じるときは悲しく、不愉快に感じる。

 

負けても相手に真摯な姿勢、誠意が感じられ、自分の上をいく良い手を指されると、充実感を覚える。

 


 

 

カッコいいですよね。 ^^

 

 

ただ単に勝負の技を磨くだけではなく、それとは別にこのような思いも身につけたいものですよね。

 

 

 

逆にいいますと、いくら勝負の技に秀でていても、それ以外では何時まで経っても子供と何ら変わるところがないという人は、

 

ゲートボール場で顔を真っ赤にして罵り合うような未来の姿が遠からず待っているということだと思います。

 

 

これでは本当にどうしようもないですよね。

 

 

 

 

真吾オジサンは実はあんまり勝負の世界って好きになれないのですよ。

 

ブログまで拵えているのですけれどね。

 

相手を打倒して喜ぶのが、まあ、勝負の世界なのですが、これが好きになれないといえば好きになれないところなのです。

 

 

 

そこで話を終わらせないで、もう一歩も二歩も清水市代さんのように話を進めたいものですよね。

 

こういう勝負なら悪くないなと思います。

 

 

 

打倒よりも共同作業と考えられる方のほうが、そこにその方の品性のようなものを感じざるを得ないように思いますからね。

 

 

 

こう考えられる方でしたら、罵り合うようなこととは無縁でいられそうですし、

 

仮にそういうことになっても、変な恨みのようなものは別の次元の罵りのようなものだと思いますよ。

 

 

将棋の世界に限らず、他の世界でも同じことが言えると思いますよ。

 

 

 

 

勝負事の好きな方は、−自戒を込めてなのですが− もっと品性ということを大切に思うようにしましょうね。

 

ゲートボール場で顔を真っ赤にして罵り合うような人にはなりたくはないと思われるのでしたらね。

 

申し訳ないのですが、こういう高齢者は本当にどうしようもないだけではなく、どこか滑稽ですらありますからね。 ^^;

 

 

 

そのうちに、そのような品性などは齢と共に自然に身に着くと思われているようでしたら、

 

真吾オジサンに言わせれば、多分、こういうどうしようもない高齢者になる可能性が高いと思います。

 

多くの高齢者を見てきた真吾オジサンは、まずはそうなるだろうなと思っております。

 

 

 

偏差値が驚くほど高い大学を卒業されていたり、人がうらやむような仕事をされているような方でも、この品性というものは話が別ですからね。

 

これはこれで身につける御努力をされないと、一朝一夕に身につくものではないと思いますよ。

 

 

 

 

 

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