2011年10月21日(金)
真吾オジサンの雑感
コンピュータ将棋は、本当は育てるようなものなのではないのか?
最近になって真吾オジサンは、コンピュータ将棋っていうものは、
開発者の方が製作されるというよりも、それを育てる・育て上げると表現した方がいいのではないか?と思っているのです。
どうもこうではないかと思っております。
前例となるような仕様書のようなものを見て、
どれだけ速やかにホイホイと製作するかだけのようなものではないですよね。
前例に従っているままでは、強いところ・人にはなかなか勝てっこないですもんね。
これでは仮に少々強くても、遠からず打ち負かされる日がくるに決まっておりますもんね。
前例を踏襲するところは踏襲して、進化をさせ続けないことには、強くなり続ける筈はないですもんね。
相手にとって、強い存在でい続けることもない筈ですからね。
コンピュータですから。
で、開発者の方は、いわば育てないとならない訳です。
育て続けなければならないのです。
そして、そして対外的な試合のときには、
まだ進化の余地がある、仮の育て上げた姿でその対局を向えると・・・
どうも、こうではないでしょうか?
こういう視点で、コンピュータ将棋の世界を拝見させて頂きますと、
真吾オジサンなりに合点がいくところもあるのです。 ^^
「うさぴょん」というフリーソフトのコンピュータ将棋があるのですが、
コンピュータ将棋協会さんの資料を拝見させて頂きますと、
「開発者 うさぴょん育ての親」と書いてあるのです。
この「うさぴょん育ての親」は、池泰弘さんという方で、
「コンピュータ将棋のアルゴリズム」(工学社)という本を上梓されておられる方です。
やはり、開発者の気持ちの中にも「育てる」という気持ちがあるのですよ、きっとね。 ^^
実に当たり前と言えば当たり前のことなのでしょうが、
最近になってようやく、このように真吾オジサンは思いが至ったような次第でございます。 ^^
製作ということばでは、どこか無機質な感じもしますもんね。
そうではなくて擬人的に、育てる・育て上げる。
開発者の愛情も魂もこもっているはずですから、こう表現するほうがより良いように思いますけれどね。
銭・金だけの問題ではすまない面も多くあるはずなのですよ、きっとね。
最近では、本当に立派に育て上げられたものだと思いますよ。 ^^
コンピュータ将棋と対戦されるときには、「お〜、つえ〜!!!」と思われることもあるでしょうし、
負かされて、悔しくもなることもあるでしょう。
まあ、でも自信まではなくされることもないですよ、
最近では、米長邦雄会長ですら、そうなっていらっしゃるようですからね。 ^^;
でも、こういう風な気持ちになられたときには、ついでに、
いったいどうやって、こうもコンピュータ将棋を「育て上げた」のか?とも思われるともいいと思いますよ。 ^^
「この強さは、開発者の魂がこもりにもこもって育て上げられた強さなのだな・・・きっと」
と思われると、もっといいように思いますよ。 ^^
人間が相手の場合でも、負かされたら、まあ悔しくもなるのですが、
その一方では、相手の方の工夫や努力の姿のあとだって、相手の方が何も語らずとも見えたりもするもんでしょう?
これと同じこととは思えないもんでしょうかね?
将棋愛好家の方は「今度こそはコンピュータ将棋に勝ってやるぞ!!!」も頼もしくていいのですが、
「こうもコンピュータ将棋が強くなれた背景にも思いを致すのが大人ってもんよ」と、
ついでに思えないもんでしょうかね。 ^^
この場合、「技術の進歩」の一言だけで片付けないで、
開発者の思いにも目を向けると、もっといいように思いますよ。
こう思えたら、結構カッコいいように真吾オジサンは思いますけれどね。 ^^
何となく、粋な感じですもんね。 ^^
また、こう思われることによって、
いろいろと今までとは違うことも見えてくることもあるようにも思いますけれどね。