2011年11月30日(水)
真吾オジサンの雑感
オウム裁判について。
真吾オジサンは以前にオウム真理教のことを書いている本を数冊読んだことがあります。
林郁夫の「オウムと私」も読みました。
これらを読んで
「連中は世間がどれだけいい加減で、ちゃらんぽらんなのかを知らなかったのではないか・・・?」
と思ったことがあります。
全共闘のときのことを書いてある本を読んだ時にもそのように思ったことがあります。
こういう運動や宗教に彼等は純化のようなものを求めていたのではないか・・・?
真面目なことは褒められるべきことだと思うのですが、
反面「阿波踊り」の「踊る阿呆に見る阿呆・・・」
くらいのいい加減なことを苦手にしているような人が多かったのではないのか?
あと優秀である半面、大らかさのようなものが感じられないですね。
このあたりは田んぼのあるようなところの田舎の人なんて、実に大らかなものですからね。
この田んぼのあるようなところの田舎の人って、
もうコンプライアンスもへちまもあったもんじゃですからね。
約束事を反故にするなんて日常茶飯事で、
「あれではどうにもならんだろうに・・・」くらいの気持ちになるのですが、
それでも不思議とそれなりに成り立っているようなところがありますからね。
自分もいい加減極まりないので、他人のいい加減なところでも許すようなところがありますからね。 ^^;
「まあ、お互いさまよ」ってなもんでしょうね。
まあ何事につけ、この田んぼのあるようなところの人って大体はアバウトなんですよ。
でも、このくらいいい加減な田舎の社会でも、やっぱり自然と限度というものがありますからね。
「物事には限度というものがある」
これを知っている社会でもあるように思いますね。
でも、こういうオウム事件のようなことを見ますと、
この大らかさ・アバウトさも今の日本には本当は大切なことのようにも思いますけれどね。
心地いい程度のいい加減さというものは今の日本にもっとあってもいいように思いますけれどね。