2011年2月6日(日)

 

干支:みづのえ たつ   九星:二黒   行事:新宮神倉神社火祭   六輝:仏滅   ちゅうだん:たつ   廿八宿:虚

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

「わび・さび」について。

 

 

 

PHP新書に「『型』と日本人」という本があります。

 

著者は、武光誠先生という文学博士で、明治学院大学の教授の方です。

 

日本の思想・文化の御研究に取り組んでおられるそうです。

 

 

この本は、非常に分かりやすく、いい本だと思いました。

 

この本の124ページにこのように書かれてありました。

 

今日も、引用させて頂きますね。 ^^

 

 


 

 

桜に見る無常観

 

 

 

日本人には桜吹雪が美しく舞うのをみて、あらゆるものの命に限りがあるとする無常観を感じる。

 

そして、限られた人生を立派に生きようと決意を新たにする。

 

 

「潔さ」を重んじる武士道や、茶道の一期一会の考えは、人生のひとこまを大切にしようとする考えから出たものだ。

 

 

無常観をもとに、平安貴族の「もののあわれ」の美がつくられた。

 

「もののあわれ」とは、儚いものや移ろいゆくものに美を感じる感性である。

 

平安初期に活躍した美貌の歌人、小野小町のつぎの和歌がある。

 

 

「花の色はうつりにけりないたずらに、わが身世にふるながめせし間に」

 

 

この和歌に詠み込まれたような儚さが、「もののあわれ」の美である。

 

小野小町は、年を取ってもそれなりに上品で美しかったろう。

 

それでも自分の衰えを素直に客観視できるところに小町の心意気がある。

 

 

若い時には若い時の美しさがある。

 

そして年齢を重ねた者には、人生経験に裏づけられた魅力がある。

 

 

このことをよく知ったうえで年相応のふるまいができる者は、生涯を通じて周囲の人びとに好かれるのである。

 

 

室町時代の禅文化の中で育った「わび」「さび」の美とは、このような「もののあわれ」を理解したうえに生まれた新たな美意識である。

 

 

「足りない点を十分に理解したうえで、あるがままのものを認めよう」

 

とするのが「わび」の考えである。

 

 

「年をとっていても良い」、「年をとった者には年を経た者だけがもつ見所があるはずだ」として美を見いだすのが「さび」である。

 

この美意識は、あらゆる人間に暖かい目をそそぐ生き方につながる。

 

 

長年にわたって修養をつみ、自己中心の考えではなく、多くの者が幸福になるみちを探していく。

 

このような日本的合理性を追求する生活のつみ重ねが、人間に年相応の魅力を与えるのである。

 

 

この魅力は、生まれながらに与えられた身分や財産よりはるかに貴重なものである。

 

(略)

 

 


 

 

いい本でしょう? ^^

 

 

年の取り方というものがあると思います。

 

アンチ・エイジングもいいのですが、こういうのもいいとは思われませんか?

 

 

真吾オジサンは、ババア・ジジイの老害を、激しく嫌悪しているのですが、

 

いい年の取り方をされている方には、非常に敬意を払うことを、全く惜しむことはありません。

 

 

どうせなら、いい年の取り方をしたいものですね。 ^^

 

 

 

 

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