2011年3月20日(日)
干支:きのえ いぬ 九星:八白 行事:望・上野動物園開園記念日 六輝:大安 ちゅうだん:あやぶ 廿八宿:星
真吾オジサンの雑感
「この大震災で、死生観を持てるようになりましょう」
今回の大震災は本当に酷いことになりました。
残念なことに、大変な数の人命も失われてしまいました。
真吾オジサンは思うのですが、最近の多くの日本人が忘れたものに、「死生観」があるように思います。
老若男女を問わず、そう思います。
失礼ながら、かなり御高齢の方でも、何時までも生きているような気分の方が多いように思います。
真吾オジサンは、人は自分がいつまでも生きているような気分の人は、恥を知らないような人になりやすいと思います。
良くないことです。
随分前の雑感にも書きましたが、真吾オジサンの住んでいる広島には、昔、海軍兵学校があった江田島というところがあります。
この江田島に、戦場に向かわれた方々の遺書が残されているのです。
それは立派な文章の遺書が残されているのです。
とても若い方々が書いたとは思えないような立派な文章なのです。
真吾オジサンのようなぼんくらオジサンなどでは到底書けないような文章・遺書が残されております。
真吾オジサンだけの話でもないと思います。
今の日本人でこれだけの文章を書ける方は、皆無に等しいといってもいいと思います。
真吾オジサンは、毎日使うネットでこのような文章を、ただの一度も見たことはないですし、
真吾オジサンの部屋は、ちょっとした古本屋になりそうなくらいに本の山があるのですが、このような文章はどこをさがしてもないですよ。
広島市には、「フタバ図書」というそれは大きい本屋さんがあるのですが、
多分、その本屋に並んでいる本を一万冊くらいみても、このような文章・遺書には会えないことでしょうね。
俳諧の松尾芭蕉は、何時も辞世の句のつもりで俳句を作っていたそうです。
一見、滑稽な俳句のように見えても、松尾芭蕉の俳句にはそうした気持ちが籠っているのだということを知りましょうね。
真吾オジサンは、「ババア問題」とか、老害のことも書いて来ましたが、
この老害は、しっかりした「死生観」を持っていないからだと思います。
こうした「死生観」を持っていらっしゃるようでしたら、屁みたいなことで、恥もくそもないようなことはされないと思います。
小賢しい、知恵熱が出たようなこともしないと思います。
しっかりとした「死生観」は、人に対する感謝の気持ちも多く持てるようになれると思います。
生きているうちに、本当にしておきたいこと・遺しておきたいことも知ることができるようになれます。
日常の平々凡々なことでも、「死生観」を持っておられる方は、一味も二味も異なります。
この大震災を契機に、老若男女を問わず、「死生観」を持ちましょうね。
「死生観」を深めましょうね。
こういった「死生観」を持っていらっしゃる方は、「世の中は銭や」と知ったか振っているような輩とはわけが違います。
肝の据わり様が大きく異なります。
そういう方が増えれば、安部元首相ではないですが、「美しい日本」に、きっとなると思いますよ。