2011年4月7日(木)
干支:みづのえ たつ 九星:八白 行事:世界保健デー・法然上人誕生会 六輝:先勝 中段:たつ 廿八宿:奎
真吾オジサンの雑感
「カタルシス」について。
真吾オジサンは以前に、某宗教団体の布教に熱心な若い女性にこのような話をしたことがあります。
女性信者「浄霊をさせて頂けませんでしょうか?」
真吾オジサン「まあ、遠慮しておきますよ。 ^^;」
女性信者「そうおっしゃらずに」
真吾オジサン「・・・ 以前、〜という本を読んだのですが、浄霊というのは、カタルシスのようなもののようですね?」
女性信者「?? カタルシス??」
真吾オジサン「カタルシスを知らないようでは、まだまだ・・・」
女性信者「・・・」
真吾オジサン「広辞苑にこう出ております。 折角なんで御覧下さいね。・・・ ついでに、こちらも御覧になっておきましょうね。」
真吾オジサン、「岩波 哲学・思想事典」を開いて、「カタルシス」のところを、この女性信者さんに見せる。
この女性信者さんは、「このオジサンには敵わない」と観念したのか、急に大人しくなりました。
この浄霊の真偽の方は、兎も角、「カタルシス」くらいのことは知っておきたいものです。
上述の「岩波 哲学・思想事典」には、こう書いてあります。
引用いたしますね。
カタルシス 〔ギ〕katharsis
浄化・排泄を意味するギリシア語。
古代ギリシアの伝統では、殺人など禁忌を犯して汚れた者が一定の手続きを経て社会復帰する宗教的祭儀を指し、
またヒポクラテス派やアスクレピオス派の医学では、下痢や嘔吐など過剰な体液・毒物の排出や洗浄による疾患の治療法の名称でもあった。
一方、ソクラテスは「魂が出来る限り肉体から分離し純粋になること」を<浄化>と呼んで<死の練習>たる哲学の課題とした。
洗礼や殉教による宗教的救済の用例もギリシア教父に多く見られ、
また神秘主義の文脈では一般に、浄化(purgatio)・照明(illuminatio)・合一(unio)という神秘的合一の階梯の入口をなす。
この語は特にアリストテレスが悲劇の目標を「悼ましさと恐れを通じた情念の浄化の達成」と規定して以来、悲劇論の中核的概念として述語化された。
(略)
特に、宗教・思想・哲学に関心のない方でも、知っておいて損のない言葉だとおもいますよ。 ^^