2011年5月7日(土)

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

 

「集団催眠」について。

 

 

 

 

「文芸春秋 5月号」に、半藤一利さんが、東京大学の学生さんに「集団催眠にかかるなかれ、と言いたい・・・」ということを言っておられました。

 

 

オウム事件で河野義行さんが犯人だと、警察もマスコミも国民も思いこんでいた事件のことを例に出して、学生にお話をされておられます。

 

 


 

半藤

あのとき、日本人は相変わらず、いっぺんにみんなが同じ方向を向いて騒いでしまうんだとわかった。

残念ながら、戦争前に「打倒米英、今こそペリー以来の恨みをはらすべし」と熱狂したのと同じです。

あの戦争をしながら、何も学んでいなかったのかもしれません。

 

 

学生

でも、戦争を体験された人たちは学んでいるのではないですか。

 

 

半藤

まあ、七十五歳から上の爺さん、婆さんたちは何かしら学んでいるでしょうね。

その世代が生きている間は何とか大丈夫でしょうが、いなくなると危ないかもしれない。

 

 

学生

ちょうど維新世代がいなくなった後の日本と同じ。

 

 

半藤

似ていますね。集団催眠にかかるなかれ、と言いたい・・・

 

(略)

 

 


 

 

つい先日、ビンラディンが殺害されましたよね。

 

 

でも、報道でも、まだ「容疑者」といっておりますし、またそうに過ぎないと言えば過ぎないとも言えるのです。

 

 

しかし、熱狂がアメリカにはあるのです。

 

長年に渡った殺害計画の成功だったことでしょうから、無理もないといえます。

 

 

でも、冷静に見ることも出来るようになっておかないと・・・という気持ちも持っていてもいいように思います。

 

 

 

日本でも同じことで、この問題に限らずいろいろなことにおいて総括をすることが、本当は今後の為に必要であり、大切なことだと思いますよ。

 

 

特定の人の責任論を問わないことにして、この総括ができたら、

 

未来にもっと大きな収穫が待っているかもしれませんし、大きな失敗を繰り返さないで済むかもしれませんよ。

 

 

ある問題が起きて、特定の人にだけその責任を押し付けたところで、その集団全体が未来の為に得るところはね・・・

 

 

そんなことより、未来の為に失敗を認めて、どうすれば繰り返さないで済むかを、総括して集団全体の問題として考えるべきです。

 

 

惰性ではなく、リコール等で問題も起こしましたが、トヨタのカイゼン運動のようなことを繰り返している集団をお手本にするべきです。

 

カイゼン運動の積み重ねで、蓄積されたものを多い集団は、一味も二味も異なる集団だと思います。

 

 

 

 

 

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