2011年6月8日(水)
真吾オジサンの雑感
「村上幸子さん」について。
先日の雑感で「あさみちゆきさん」のことを書いているうちに、「村上幸子さん」のことを、書きたくなってしまいました。
「あさみちゆきさん」はラジオの深夜番組の「走れ歌謡曲」のパーソナリティをされている、と書いているうちに、「村上幸子さん」のことを思い出したのです。
そう、村上幸子さんは、昔、この「走れ歌謡曲」のパーソナリティの方だったのです。
真吾オジサンが、大学受験の頃に、パーソナリティをされておられました。
いつも「越後のコンコン娘の村上幸子です」と自己紹介をされておられました。
また、「不如帰」をいつもアピールされておられました。
以前、村上幸子さんのことを書いた2ちゃんねるを見ておりましたら、
この村上幸子さんはスーパーでアルバイトをしながら、レッスンをされておられたそうです。
また、内職のようなこともされながら、歌の技を次第に磨かれておられたそうです。
その上、ご両親は、歌手になることを反対してもいたといいます。
2ちゃんねるに書いてあることですし、芸能界のことなのでどこまで信頼していいのかは分かりませんが、
額面通りにとりますと、夭折されたことが、本当に残念なことのように思います。
紅白歌合戦という最高の舞台の出場も内定されたらしいのですが、昭和天皇の病状が原因で、初出場の機会が見送られたのだそうです。
「不如帰」の歌詞に、「鳴いて血を吐く不如帰」というところがあって・・・ということだったそうです。
そして、初出場の夢はかなわず、ガンで夭折されました。
31歳でした。
時は、1990年のバブル期の熱狂の余熱がまだあったころでした。
真吾オジサンにとっては、どこか永遠の憧れのお姉さんのようなところが、この村上幸子さんにはあるのです。
村上幸子さんが夭折された年齢を、随分と上まわった今になっても、どこかそのように思うのです。
真吾オジサンくらいの齢の方で、演歌を好む方は非常に少ないように思うのですが、真吾オジサンは好んでおります。 ^^
何故かな?と思うと、どうもこの村上幸子さんなのです。
ラジオから流れてくるなんとも優しそうな村上幸子さんの声の影響が大きかったのかもしれませんね。 ^^
多少、鼻の高い女性同士の世間話では、
「ねぇ、仕事をするにしても、スーパーのオバサンって、嫌よねぇ〜」
ということを、いっているものなのですが、
それで、その女が真吾オジサンに同意を求めてきても、真吾オジサンは決して首を縦には振らないのです。
コンビニでも似たようないわれ方をされているように思うのですが、これまた真吾オジサンは首を縦に振ることはないのです。
単なる偏見に過ぎないことですし、こういう話を聞く度に村上幸子さんのことを思い出したりします。