2011年6月15日(水)
真吾オジサンの雑感
「てげてげ」について。
随分前に司馬遼太郎氏の本で、この「てげてげ」という方言を知りました。
確か、西郷隆盛は薩摩の人だったので、「てげてげ」の人だったとかが書かれていたように記憶します。
この「てげてげ」は、ウィキペディアによりますと、「そこそこ、適当に」という意味だそうです。
多分、「てぇげぇ、てぇげぇ」、即ち「大概、大概」が、訛って「てげてげ」となったのではないか?と勘繰ったりもします。 ^^
いいですよね、この「てげてげ」。 ^^
そういえば、司馬氏の本には、この「てげてげ」が、日本的リーダーらしさとか書いてあったようにも思います。
小泉首相なんかは、この「てげてげ」の首相だったように思います。
郵政民営化以外の問題では、実にアバウトといえばアバウトな首相でしたからね。
雲をつかむようなことをよく言っておられましたよね。
集団のトップの方は、こういう面も必要でしょうね。
あんまり重箱の隅をつつくようなことばかり言っているような、トップですと、部下は大変ですからね。
その上、その言い分が的外れなことを言い張っているようでしたらね・・・
残念なことは、いろいろな世界で、こういう「てげてげ」のできる器量のトップが、どうも減っているのではないか?と思います。
無責任な「てげてげ」ではなくね。
西郷隆盛は、西南戦争に負けて切腹されたそうですが、一方では、そういう肝の据わった面もあるトップの方の「てげてげ」。
「てげてげ」が出来るということは、また、実力も自信もないと、なかなかできるものではないでしょうからね。
部下との堅い信頼関係もできていなと、またできるものでもないとも思います。
「部下は、この俺のことをどう思っているのだろうか?」とかで、うろたえているうちは、この「てげてげ」なんて、なかなか出来ないでしょうからね。
ところで、年を重ねるごとに、それぞれ、器が去年よりも大きくなれるようになりたいものですよね。
こういう年の取り方が出来ると、ババアのように、卑近なことばかりが矢鱈に気になって仕方がないような高齢者にはならずにすむかもしれませんからね。
自分よりも、大幅に年下の人に、滑稽なまでに、嫉妬心を起こすような高齢者にもならずにすむかもしれませんしね。
こういう高齢者には、「てげてげ」なんて、全くと言っていいほど備わってはいないですからね。
こういう高齢者は、みっともないを通り越して、本当に見ているだけで、情けなくなってきますからね。
こういう高齢者はいろいろ言ったところで、所詮、器が小さいのです。
無駄な齢の取り方をしたので、こういう高齢者になったに過ぎないのです。
ということで、この雑感を御覧の貴方は、「てげてげ」の器量の婆さん・爺さんになれるよう、頑張りましょうね。 ^^
特に、なにかの集団のトップではなくても、この「てげてげ」のできる器量の人間というのはあると思いますよ。