2011年8月6日(土)

 

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

 

「覇者と王者」について。

 

 

 

 

 

今日も孟子の言葉です。 ^^

 

 

世間では、覇者と王者を、同様なことのように言っていることが多いように思うのですが、孟子はこうおっしゃられておられます。

 

話のネタくらいにはなりそうなので、ぜひ、御覧下さいね。 ^^

 

 


 

 

孟子曰、以力假仁者覇、覇必有大國、以徳行仁者王、王不待大、湯以七十里、文王以百里、以力服人者非心服也、力不贍也、

 

以徳服人者、中心悦而誠也、如七十子之服孔子也、

 

詩云、自西自東、自南自北、無思不服、此之謂也、

 

 

 

 

 

孟子曰く、

 

力を以て仁を仮(か)る者は覇(は)たり。

 

覇は必ず大国を有(たも)つ。

 

 

徳を以て仁を行なう者は王たり。

 

王は大を待(ま)たず。

 

 

湯(とう)は七十里を以てし、文王(ぶんのう)は百里を以てせり。

 

 

力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力贍(た)らざればなり。

 

徳を以て人を服せしめる者は、中心より悦びて誠に服せしむるなり、七十子(し)の孔子に服せるが如し。

 

 

詩に、西よりし東よりし、南よりし北よりし、服せざる無しと云えるは、此れこの謂(いい)なり。

 

 

 

 

 

孟子がいわれた。

 

「表面だけは仁政にかこつけながら、ほんとうは武力で威圧するのが覇者である。

 

だから、覇者となるには、必ず大国の持ち主でなければならない。

 

身につけた徳により仁政を行なうのが王者である。

 

王者となるには大国である必要はない。

 

湯(とう)王は僅か七十里四方、文王(ぶんのう)は百里四方の小さな国からでて、

 

遂には天下の王者となった。

 

武力で人民を服従させるのは表面だけで、心からの服従ではない。

 

ただ力が足りないのでやむなく服従したまでだ。

 

徳によって人民を服従させるのは、心の底から悦んでほんとうに服従するので、

 

七十人の門人が孔子に心服したのが、それである。

 

詩経に『西からも東からも、南からも北からもやってきて〔武王に〕心服しないものとてはなかった』

 

とあるのは、このことをいったものである。」

 

 


 

 

ぜひ、この機会に、覇者と王者との違いを覚えておいて、これを使い分けるようにしましょうね。

 

こういう使い分けが出来る方って、どこかカッコよくもありますからね。 ^^

 

 

 

 

 

 

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