2011年8月25日(木)
真吾オジサンの雑感
「戦後教育の歪み」について。
戦後の教育は様々な面で歪んでいるように思います。
アメリカは原爆を2つも日本に落としたのです。
兵士でもない、民間人を無差別に大量も大量に殺害したのです。
これを「戦争を終わらせるためにはしようがなかった」というのは詭弁に過ぎないことです。
悪の帝国の日本を、戦勝国が勧善懲悪で懲らしめた・・・
これが戦後教育です。
戦争なので、日本・日本軍も、大概には人倫にもとることもあったろうと思います。
少なからずあったろうとも思います。
しかし、だからといって、原爆を投下したことが正当化されるというものでもないと思います。
一応お断りしておきますが、アメリカ的な論理は真吾オジサンは決して嫌いではないのですよ。
ただ、アメリカをはじめとする戦勝国が人権・文化の面で進んでいて、
戦争に負けた国の全てが碌でもないことであったかのように言う人もおりますが、これは間違いだと思います。
なぜなら、人権・他人を重視する国なら原爆は落とす訳はない筈ですよ。
文化で進んでいる国が、民間人を大量虐殺することが分かり切っている原爆を落としますか?
アメリカでもどうしようもない面も多いことも、一方では言われるべきことです。
戦前の日本でも良い面も多かったのだということも、もっと言われてもいいことです。
真吾オジサンに言わせれば、こういう考えならバランスが取れた考えだと思うんですけどね。
戦前のアメリカが100点で、戦前の日本が0点のような教育は間違いです。
まだしも、アメリカが80点で、日本が70点だったと教えるのなら、真吾オジサンは許せるのですけどね。
アメリカから頂いた?憲法を絶対視して、日本の文化・伝統を見下すような論理は一向にいいとは思いませんね。
こういう「東京裁判史観」から、日本人自身が一日もはやく卒業する必要があると思います。
こういう歪んだものの見方の教育から、多くの方は卒業しないとなりません。
戦前の日本の文化が、荒唐無稽で取るに足らないと変に確信しておられる左翼的な方は、
ぜひ、偶には、戦前に書かれた文学の作品を御覧になりましょうね。
読めば分かります。
読みもしないうちに決めつけないことです。
そうされることで、現在の日本の文化よりも、余程深みも味わいもあることも多いことに気付かれることになると思いますよ。
短歌の世界でも、俳句の世界でもそうだと思いますよ。
逆にいえば、戦後の文化の中には、味もすっぽもないようなものが多いということでもあります。
科学技術の分野なら、話が別ですけどね。
この分野は日進月歩の世界ですからね。
どう見ても、この分野は、戦前よりも今日の方が進んでおります。
ただ、人の心の豊かさという面では、戦前の方がよほどまともであったと真吾オジサンは思いますよ。
戦前には、秋葉原の殺傷事件のような、あそこまで変な事件はなかったのではないかと思っておりますからね。