2012年7月5日(木)

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

将棋と大和と神武と活人について。

 

 

 

 

随分前に雑感に書いた記憶があるのですが、

 

「国体の本義」という本があったことを御存知ですか? ^^

 

 

 

広辞苑にはこう出ております。

 

 


 

【国体の本義】 こくたいのほんぎ

 

 

1937年文部省が発行した国民教化のための出版物。

 

記紀神話にもとづき国体の尊厳、天皇への絶対服従を説き、

 

社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義を排撃。

 


 

 

 

こう書いてあります。

 

 

こういうことを書くと、人によってはよくは思われないのでしょうけれど、

 

ここに書かれてあることって、結構いいことが書かれてあるように思いますよ。

 

 

こういうことは具体的に引用した方がいいでしょうね。

 

 

 

 

 


 

 

四、和と「まこと」

 

 

 

 

我が肇國の事実及び歴史の発展の跡を辿る時、常にそこに見出されるものは和の精神である。

 

和は、我が肇國の鴻業より出で、歴史生成の力であると共に、日常離るべからざる人倫の道である。

 

和の精神は、万物融合の上に成り立つ。

 

人々が飽くまで自己を主とし、私を主張する場合には、矛盾対立のみあって和は生じない。

 

個人主義に於いてはこの矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存しない。

 

即ち個人主義の社会は万人の万人に対する闘争であり、歴史はすべて階級闘争の歴史ともなろう。

 

かかる社会に於ける社会形態・政治組織及びその理論的表現たる社会学説・政治学説・国家学説は、

 

和を以て根本の道とする我が国のそれとは本質的に相違する。

 

我が国の思想・学問が西洋諸国のそれと根本的に異なる所以は、実にここに存する。

 

 

 

我が国の和は、理性から出発し、互いに独立した平等な個人の機械的な協調ではなく、

 

全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和である。

 

従ってそこには相互のものの間に敬愛随順・愛撫掬育が行ぜられる。

 

これは単なる機械的・同質的な妥協・調和ではなく、各々その特性をもち、互いに相違しながら、

 

而もその特性即ち分を通じてよく本質を現じ、以て一如の世界に和するのである。

 

即ち我が国の和は、各自その特質を発揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に帰するところの大和である。

 

特性あり、葛藤あるによって、この和は益々偉大となり、その内容は豊富となる。

 

亦これによって個性は弥々伸長せられ、特質は美しさを致し、而も同時に全体の発展隆昌を齎すのである。

 

実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、溌剌としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。

 

 

 

 

武の精神

 

 

而してこの和は、我が国の武の精神の上にも明らかに現れている。

 

我が国は尚武の国であって、神社には荒魂(あらみたま)を祀る神殿のあるのもある。

 

修理固成の大命には天の沼矛(あまのぬほこ)が先ず授けられ、

 

皇孫降臨の場合にも、武神によって平和にそれが成就し、

 

神武天皇の御東征の場合にも武が用いられた。

 

併し、この武は決して武そのもののためではなく、和のための武であって、所謂神武である。

 

我が武の精神は、殺人を目的とせずして活人を眼目としている。

 

その武は、万物を生かさんとする武であって、破壊の武ではない。

 

即ち根底に和をもち生成発展を約束した葛藤であって、その葛藤を通じてものを生かすのである。

 

ここに我が国の武の精神がある。

 

戦争は、この意味に於いて、決して他を破壊し、圧倒し、征服するためのものではなく、

 

道に則って創造の働きをなし、大和即ち平和を現ぜんがためのものでなければならぬ。

 

 

 

 

むすびと和

 

 

かくの如き和によって我が国の創造発展は実現せられる。

 

「むすび」とは創造であるが、それは即ち和の力の現れである。

 

伊弉諾ノ尊・伊弉冉之尊相和して神々・国土を生み給うた。

 

これ即ち大いなるむすびである。

 

むすびは「むす」から来る。

 

苔むすといふやうに、「むす」はものの生ずることである。

 

露がむすぶといふのは、露の生ずることをいふ。

 

ものが相和してそこにむすびがある。

 

かくて君臣相和し、臣民互いに親和して国家の創造発展がなされる。

 

現下の問題たる国家諸般の刷新改善も、亦この和によるむすびでなければならぬ。

 

それは、一に天皇に御稜威(みいつ)の下に国体に照らして誤れるを正し、

 

大和によって大いに新たなる成果を生み出すことでなければならぬ。

 

 


 

 

 

こう書いてありました。

 

 

 

将棋愛好家の方でしたら、ピンと来ることもあるでしょう?

 

武の精神のところ。

 

 

 

真吾オジサンなどは、他人を見たら、

 

目的もなく、兎に角勝たないと気がすまない人のことを、

 

阿修羅な人という表現することが多いのですが、

 

そうではなくて、ここに書かれたような武の精神・大和の気持ちがないとね・・・

 

という気にはなりますよ。

 

 

 

将棋でもこれは同じことが言えると思いますよ。

 

 

 

「どうだ、この俺様・私は、奴とは頭・人間の出来栄えが違うのだ」

 

 

将棋に勝つとこうなる気持ちもよくわかるのですが、

 

こうではなくて活人・大和ということにも思いを致さないとね。

 

 

 

勝っても負けても和が残るような関係の方がいいですよね。

 

 

 

活人、これ、まさに将棋ですよね。 ^^

 

人を活かすのです。殺さないのです。

 

 

 

 

 

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