2012年7月13日(金)
真吾オジサンの雑感
棋譜はむすび。
先日の雑感にこう書いたところ・引用したところがありましたよね。
むすびと和
かくの如き和によって我が国の創造発展は実現せられる。
「むすび」とは創造であるが、それは即ち和の力の現れである。
伊弉諾ノ尊・伊弉冉之尊相和して神々・国土を生み給うた。
これ即ち大いなるむすびである。
むすびは「むす」から来る。
苔むすといふやうに、「むす」はものの生ずることである。
露がむすぶといふのは、露の生ずることをいふ。
ものが相和してそこにむすびがある。
かくて君臣相和し、臣民互いに親和して国家の創造発展がなされる。
現下の問題たる国家諸般の刷新改善も、亦この和によるむすびでなければならぬ。
それは、一に天皇に御稜威(みいつ)の下に国体に照らして誤れるを正し、
大和によって大いに新たなる成果を生み出すことでなければならぬ。
この論理を将棋に持ちこみますと、棋譜がこの「むすび」になると思うんですよ。
将棋の天地で、対局者が和して、棋譜をむすぶということになるのだと思うんですよ。
一局一局が異なる棋譜をむすぶということになるわけですね。
棋譜って、一人では作れませんよね。
相手がいないことには、それは棋譜とは言いませんよね。
なので、謂わば、対局者二人が相和して、棋譜をむすんでいるということになると思いますね。
君臣云々のところは兎も角として、兎に角、将棋の世界は唯の勝負事のように見えても、
和もあり、むすびもあるわけですね。
先日の雑感には「活人」ということも書きました。
人を殺さないわけですね。
人を活かすのが「神武」なわけですね。
優れた棋譜って、遊び駒が一枚もないような棋譜だと思われませんか?
この遊び駒がない棋譜って、この活人の出来ている棋譜とも言えませんか? ^^
優れた棋譜には、神武も、活人も、和も、むすびもあるように思われませんか。 ^^