2012年7月24日(火)
真吾オジサンの雑感
山岳信仰と湯治について。
ここ最近、将棋の事ばかりをこの雑感に書いておりましたので、
今回は違うことを書きますね。
修験道の本の中に以下のように書かれているものがありました。
話のネタぐらいには使えそうですので、まあ御一読のほど。 ^^
山岳信仰と風呂
最近、近代的でサウナ付きのスーパー銭湯や○○温泉がはやっている。
一昔前の銭湯は、入口も唐破風つきのいかめしいものだった。
脱衣場より入ると、湯舟の向こうには富士山の絵がデ―ンと構えている。
全国どこでも銭湯の造りは同じだったようだ。
一昔よりもっと昔は、湯治と称して、保養し病を養生するために、山の近くの湯治場に行った。
山には寺社があり、山には神々が鎮まり、山より湧き出る湯の霊気にあたることで保養するという考えがあった。
だから、銭湯の入口は寺院などの入口のような造りになっている。
湯舟の向こうには、霊山がなくてはならない。
また、舟とは古代には乗り物としての舟、死者を収める棺でもあり、
稲などを脱穀する臼でもあった。
他界と、この世のはざまで悪いものを他界においてゆき、他界から来る恵みを受け再生するというありかたが、
銭湯に最近まで残されていたのである。
何にも関係もなさそうな山岳信仰と銭湯は、このように結びついている。
こう書いてありました。
「OH〜、納得!」
って気分になって頂けましたでしょうか? ^^
旅行などで温泉宿に宿泊されるときには、この話をぜひ思い出して下さいね。 ^^