2013年3月22日
真吾オジサンの雑感
血気に逸るということについて。
広辞苑には
【血気に逸る】 けっきにはやる
血気Aにまかせて激しい行動に走ろうとする。
「−若者をなだめる」
で、血気Aには
【血気】けっき
A激しい意気。血の気(け)。客気(かっき)。
こう書かれてあります。
血気に逸るということで思いますのは、武田勝頼ですね。
こういうことは、動画のほうがより分かり易いですよね。
これは昔の大河ドラマの「武田信玄」ですよね。
折角なので…
もう少し詳しい長篠の戦いの動画はこちら
武田信玄が生きていたのでしたら、このような無謀なことには
きっとならなかったことでしょうね。
鉄砲に怯まなかった歴戦の武田の騎馬隊は本当に勇ましかったと思います。
しかし、時代の変化がみえない・見ようとしないとこういうことになるのでしょうね。
「無敵の武田の騎馬隊の戦い方はこうなんだ!!」
「騎馬隊の正攻法の戦い方はこうなんだ!!」
ではなく、一回頭を真っ白にして、
「どうやれば3列に並べられた鉄砲隊に近づいていくことができ、
どうすれば鉄砲隊の威力を出させないことができるのか?」
まずはこんな風に考えるべきだったのでしょうね。
「柵を立てているくらいだから、向こうからズンズンと攻めては来る気はないようだ。
しかし、どうにかこうにかして、向こうから動かざるを得ない展開に持ち込めれば、
鉄砲を提げている人間と騎馬隊とではその足の速さが違うので、
これなら少々の鉄砲の数があったところで、
いくらなんでも我らの騎馬隊の楽勝ジャン!!」
頭の切り替えができさえすれば、
このくらいのことも容易に思い浮かんだことでしょうにね。
こうではなくとも、別のアイデアが次々と浮かぶようなこともあったでしょうにね。
成功体験が多すぎますと、こういう風に
頭の中を切り替えることがなかなか難しくもなるのでしょうね。
内からも外からも、そういうことを言い出すことを許さない空気にもなるのでしょうね。