2013326

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

接ぎし木のどれが何やら唯うらら  高田蝶衣

 

 

 

 

今回も歳時記からの引用です。

 

 


 

 

接木  つぎぎ  仲春

 

 

【解説】

 

三月ごろ、芽の出た枝を切って同類異類の木の幹に接ぎ合わせ生育させることをいう。

 

樹種を改良し結実をよくするためである。

 

接いだ箇所は乾燥しないように、土や藁・ビニールなどで被う。

 

接合する枝芽を接穂(つぎほ)、接合する幹を砧木(だいぎ)という。

 

主として果樹に行われる。

 

 

 

 

麗か  うららか  三春

 

 

【解説】

 

春の日が輝きわたって、万象ことごとく柔らかに明るく美しく見えわたる様。

 

美しさだが、鮮明さ、明快さを伴う美しさで、引いては裏表のない心にも転用した。

 

うらら、うららけし、うららになどとも用いる。

 

古くは春日遅々たるのどかさを、日うらうらと言っている。

 

うらうらも同じ意味で、家持の歌に、

 

「うらうらに照れる春日に雲雀あがり心かなしも独りし思へば」(『万葉集』巻十九)とあり、

 

この歌の創作動機を家持は、

 

「春日遅々としてひばり鳴く」云々と日記に誌している。

 

春日遅々とは暮れがたい春の日の感じだから、

 

麗かは永日、遅日、長閑などと関連の深い季語で、

 

要するに同じ意味をさまざまな語感をもって言いかえた語である。

 

明るい陽光と、のどかな一日とは、「春の日」の両面と言っていい。

 

また声の明るく朗らかなさまにも言い、

 

「鶯のうららかなる音(ね)」(『源氏物語』胡蝶)などと言っている。

 

容貌、容姿(ことに女人)に転用するのもよいだろう。

 

 


 

 

 

接ぎし木のどれが何やら唯うらら  高田蝶衣

 

 

 

こういういい加減といえばいい加減なのも、そう嫌いではないですね。 ^^

 

こういう心地よい程度のいい加減さがいいですね。

 

 

 

この平成濁世って、目くじらを立てすぎなんですよ。

 

目くじらを立てて、それを殊更に言い立てること、

 

それが利口なことであると言わんばかりの人が多すぎるのです。

 

老若男女を問わずそんなところがあるように思いますね。

 

 

 

私はそんな息苦しくなりそうな人よりも、

 

この高田蝶衣のような心地よいアバウトさがある人のほうが好きですね。 ^^

 

 

 

 

 

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