2013年3月28日
真吾オジサンの雑感
永き日のにはとり柵を越えにけり 芝不器男
今回も歳時記からの引用です。
日永 ひなが 三春
【解説】
短かった冬の日が、春になってめっきり長く感じられることである。
もっとも長いのは夏至前後であるが、
感じの上で、春になって日の長さが意識されるので、万葉の昔から
「菅の根の(枕詞)長き春の日」「霞立つ春の永日」などと言っている。
春ののどかさをこめて言う。
俳諧の季題では、日永が春、短夜が夏、夜長が秋、短日が冬である。
日永と短夜、夜長と短日は、算術的に計算すると、一致すべきはずだが、和歌、連歌以来そう感じて来ている。
季感は人間が感じ取るものだから、理屈で割り切っても仕方がない。
待ちこがれていた春が来た歓びと、日中がのんびりと長くなったことへのひとびとの実感が、
日永の季語を春と決めたのであって、長閑が春の季語であることも相通じる。
[山本健吉]
永き日のにはとり柵を越えにけり 芝不器男
芝不器男は原石鼎に最も傾倒していたらしいのです。
この「永き日のにはとり…」の句で、
「原石鼎に近づきえたぞ、これは会心の句だ!!!」
と思われたのだそうです。
この句はこういうエピソードのある句なのです。
芝不器男の代表句の一つとされる句でもあります。