2013413

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

此やうな末世を桜だらけ哉  小林一茶

 

 

 

 

Wikipedia  小林一茶

 

 

 

「末世」は勿論「まっせ」ですね。

 

佛教語ですね。

 

 

この「末世」についても、佛教語大辞典にあれこれと出ておりますので、

 

これらを引用しましょうね。

 

 


 

 

【末世】 まっせ

 

末の世。後の時代。末代。末法の時代。仏法の衰えた世。つまり現代、その当時をいう。

 

 

 

【末世一代教主如来】 まっせいちだいきょうしゅのにょらい

 

末世の衆生のために一生涯、教えを説いた釈迦如来。

 

 

 

【末世の作法】 まっせのさほう

 

末代のふるまい。

 

 

 

【末世時】 まっせじ

 

末世世に同じ。

 

 

 

【末世世】 まっせせ

 

末世の世の中。

 

 

 

【末世相應】 まっせそうおう

 

末法の世にふさわしいこと。

 

 

 

【末世法滅の時】 まっせほうめつのとき

 

末法の世で、真実の仏法の滅尽する時の意。

 

 


 

 

 

折角なので、ついでに、「末法(まっぽう)」についても引用しておきましょうね。

 

 


 

 

【末法】 まっぽう

 

濁り世。仏滅後、最初の千年(五百年ともいう)を正法、次の千年を像法、その後の一万年を末法という。

 

この末法では、仏教はその教えのみがあって、それを実践する行も、またさとりとしての証もない時代となる。

 

末法には仏法が滅して救いがたい世となるという。

 

仏教の歴史観を示す語。

 

 

 

【末法劫末】 まっぽうごうまつ

 

教えだけが残っていて、行・証のなくなった末の世。世の終わり。仏法の衰滅する時期。末法時。

 

 

 

【末法思想】 まっぽうしそう

 

釈尊の入滅後千年、千五百年あるいは二千年を経過すると、

 

仏説のとおりに修行し、さとる者がなくなり、それから一万年の間、教法のみが残るという。

 

この一万年間を末法といい、経・律の中に散説されている。

 

当時の信徒に危機意識を起こさせるために説かれたのである。

 

シナの文献でこの思想が現れたのは、北斉慧思の「南岳思禅師立誓願文」が古く、

 

ついで隋の信行は末法を第三階の時とし、仏教中の特定の一法によらず、普法(全仏教)を修行すべきであるとして三階教を唱え、

 

唐の道綽・善導などは末法に相応する教えは浄土教のみであると主張した。

 

日本の源信・源空などもこれを受けて浄土教を鼓吹し、

 

日蓮は『法華経』の題目を唱えることが末法に得脱する唯一の道と論じて日蓮宗を開いた。

 

栄西・源空・親鸞・日蓮など、鎌倉時代の新宗派の祖師が依用した『末法燈明記』(伝最澄作)は平安末期の偽作であるが、

 

日本の末法思想を推進するのに最も有力な著作であった。

 

平安末期には、釈尊の入滅を紀元前九四九年(壬申)とし、

 

正法千年、像法二千年とする説が行われ、永承七年(1052)に末法を迎えるとした。

 

この年には長谷寺が焼失し、武士の勃興、僧兵の横暴におびえた貴族は、

 

浄土教に帰依して後世を願う傾向が著しくなった。

 

 

 

【末法時】 まっぽうじ

 

末法の時代。

 

 


 

 

 

此(この)やうな末世を桜だらけ哉  小林一茶

 

 

 

この句のことが多少なりとも面白く見えてきましたか?

 

 

 

 

 

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