2013年4月20日
真吾オジサンの雑感
文珠語り舎利弗眠る日永かな 内藤鳴雪
「文珠」は「もんじゅ」で「文珠の知恵」の「文珠」ですね。
「舎利弗」は「しゃりほつ」と読みます。
釈尊十大弟子の一人ですね。
季語は「日永(ひなが)」で、春の季語です。
「日が永くなってきたなぁ〜」と春になると思うでしょう?
あれです、この日永はね。
今回も佛教語大辞典からあれこれと引用してみましょうね。
【文殊】 もんじゅ
けがれのない仏の智慧を表す菩薩。
【文殊院】 もんじゅいん
胎蔵界曼荼羅の東方第三種の一院。
【文殊會】 もんじゅえ
七月八日に東寺・西寺において、文殊菩薩を供養する法会。
【文殊八字法】 もんじゅはちじほう
密教で、文殊菩薩を本尊とし、八字からなる真言をもって息災のために行なう秘法。
舎利弗のことが広辞苑に書かれてあります。
【舎利弗】 しゃりほつ
釈尊十大弟子の一。十六羅漢の一。インド・マガダ国の首都王舎城外那蘭陀村の婆羅門(バラモン)の家の生れ。
懐疑論者に師事していたが、のち釈尊の弟子となり、智慧第一と称せられた。
シャーリプトラ。舎利子。
こんなことが書かれてあります。
PHP文庫の「仏像がよくわかる本」に「文殊菩薩」のことが書かれてあります。
文殊菩薩とは
サンスクリット語でマンジュシュリーといい、音写して文殊師利(しり)または曼殊室利(まんじゅしり)などという。
これを漢訳して妙首(みょうしゅ)、妙吉祥(みょうきっしょう)などという。
普賢菩薩とともに釈迦の脇侍(わきじ)としてつかえ、釈迦如来の左側にいて智慧をつかさどるといわれている。
この文殊菩薩は実在の人物だったという説もあり、『文殊師利般涅槃経』という経典には次のように説かれている。
舎衛国(しゃえいこく)という国にバラモンの子として生まれた文殊菩薩は、
長して釈迦について出家し、釈迦が亡くなった後、
雪山(せつざん・ヒマラヤ)にいたって五百人の千人のために釈迦の残した教えを説いた。
そののち、再び生れ故郷の舎衛国に帰り、尼拘楼陀(にぐろうだ・バンヤンの木)の下で悟りをひらいたといわれている。
また、他の経典には、娑婆世界の東北方に、清涼(せいりょう)山という過去のあらゆる菩薩が住んでいる山があり、
文殊菩薩はここにいて一万人の菩薩のために教えを説いているといわれている。
このことから中国山西省の五台山にある清涼山が文殊菩薩の霊場と見なされ、唐以来、盛んに信仰を集めた。
平安時代、日本の天台宗の学僧、慈覚大師円仁は清涼山を訪れ、文殊菩薩に参拝して感銘を受け、
日本に帰ってから文殊菩薩の信仰を大いに広めた。
舎利弗
サンスクリット語でシャーリプットラという。バラモンの家に生まれ、
当時、大きな教団をつくっていたサンジャヤという懐疑論者の弟子で、自らも百人の弟子をもっていた。
釈迦が悟りをひらくと、隣村の出身で、同じく百人の弟子を抱えていた目□連とともに釈迦に弟子になったという。
仏弟子になる前から学徳がすぐれていることで知られ、仏弟子になって間もなく高弟の一人に数えられ、智慧第一といわれた。
『般若心経』はじめ、多くの経典に釈迦の説法の相手として登場するが、
釈迦に先立って亡くなったといわれている。
文珠語り舎利弗眠る日永かな 内藤鳴雪
この句のことが多少は面白く見えてきましたか? ^^