2013年4月26日
真吾オジサンの雑感
ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ 与謝蕪村
「季語」は「ゆく春」で、晩春の季語ですね。
行く春を惜しむ心が籠っている季語ですよね。
藤村の詩に「時は過ぎ行く春よりぞ、また短きものはなかるらん」と言っているそうです。
この蕪村の句について水原秋桜子が書いております。
これを引用させて頂きましょうね。
【鑑賞】
一句がそのまま画面になっているような感じがする。
画面の主は大和絵によく描かれている若い公卿である。
春もすでに終りにちかく、庭の花は大方散ってしまい、木々の枝には新芽のかがやく頃だから、
とかく鬱屈した気持ちになりやすい。
それをまぎらすために愛用の琵琶をとり出して一曲弾じてみると、すこしは気分も晴れたけれど、
すぐまた前より一層気が重くなり、そのまま柱にでも倚りかかってしまったのだろう。
●行春という季語は、言葉としても美しいが、その背景としていろいろの花や鳥を想像しつつ句を鑑賞し得る便宜がある。
しかしそれだけに使いそこなうと却って一句の趣をみだしてしまうような欠点もある。
この句ではそれが実に見事な効果をあげていると思う。
[水原秋桜子]
こういうことだそうです。
勉強になりましたね。