2013年4月30日
真吾オジサンの雑感
聖人学んで至るべし。
この雑感は2013年4月28日に書いたものなのですが、
「朱子語類」抄を今日も時間のあるときに読みました。
先日の雑感に去来抄のことを書きましたが、
この「朱子語類」抄にも似たようなことが書かれてあります。
これを今回は引用させて頂きましょう。
【書き下ろし】
大凡(おおよそ)、人 書を讀むには、
且(しば)らく當(まさ)に心を虛(むな)しく意を一にして正文を熟讀すべし。
便(ただ)ちに見解を立てて正文を看るべからず。
却(かえ)って深思を着(ちゃく)して熟讀し、
便(すなわ)ち己の說(い)う如し、此(か)くの如くにして方(はじ)めて是(よ)し。
【現代語訳】
いったい人が読書をする場合、
とにかく心を虚しく気持ちを集中させて本文を熟読すべきで、
ただちに自分の意見を立てて本文を読むべきではない。
思いを潜めて熟読して、自分自身の言葉のようになってくる、そんな読み方をせんと駄目だ。
こう書かれてありましたが、先日、去来抄から引用したのとよく似ておりますよね。
こういう読書の仕方が本当はいいのでしょうね。
非常に重視して読むべき本の場合にはこういう読み方をすべきなのでしょうね。
きっとそうなのだろうなと思いますね。
読書と言っても、タブロイド紙といくらも変わるところのない本の場合には
こうまですることもないのでしょうけれどね。