2013年5月4日
真吾オジサンの雑感
朱子学の心について。
今回の雑感も朱子学のことについて書きます。
今回も「朱子語類」抄からの引用です。
これはご存じの方にとりましては、
「この程度のお話を何を今更…」
くらいのことでしょうけれど、まあ復習のつもりでご覧あれ。
性は“未動”、情は“已動“で、
心は“未動”と“已動”を包括する。
つまり、心の“未動”が性であり、“已動”が情だ。
いわゆる「心ハ性情ヲ統ブ」である。
欲は情が発現したものだ。
心を水に譬えるなら、
性は水の静かな状態、情は水の流れ、欲は水の波だ。
だが、波にも良いものと良くないものとがある。
欲の良いものとは、「我仁ヲ欲ス」といった類で、
良くないものは、大波や荒波のようにむやみと暴れまわろうとする。
ひどく悪い欲は、壅ぎ止められた水が決潰すると、
至るところに水害をもたらすように、天理を滅ぼしてしまう。
孟子の「情ハ以テ善ト為スベシ」というのは、
正しい情は性のなかから流れ出たものであって、
元来、良くないものはないことをいう。
こう書かれてあるのですが、分かり易くていいですよね。
朱子学のいうところの「心」は、こういう意味で受け止めましょうね。
日常生活で使われます「心」という言葉と、ごちゃまぜにしては駄目ですよね。