201355

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

朱子学の静坐について。

 

 

 

 

今回の雑感も朱子学のことについて書きます。

 

今回は「静坐(せいざ)」です。

 

 

 

広辞苑には、

 

 

【静座・静坐】 せいざ

心をおちつけてしずかにすわること。

すわって心身をしずかにおちつけること。

「−して黙考する」

 

 

こう書かれてあります。

 

 

 

今回も「朱子語類」抄から引用しましょうね。

 

 

 

 

【現代語訳】

 

初学者のなすべき修行は静坐である。

静坐をすれば根本が定まり、ついつい外物を追いかけるとしても、

外に出たその心を回収する場合にちゃんと置き所がある。

たとえば家に居慣れておれば、たとえ外出しても、家に帰れば安堵するようなものだ。

もしもぼんやりと外に居てちっとも修行をしなかったなら、

よしんば心を自分のなかに収斂しようにも、落ち着け場所がない。

 

 

 

静坐とは、心を静謐(せいひつ)に保つことによって

外物による心の擾乱(じょうらん)を遮断し、

心が本来具有する天理を涵養する方法であって、

これが禅家の坐禅の換骨奪胎であることはいうまでもないが、

宋学では周溓渓の「主静」に始まり、程明道に継承される。

明道は「泥塑人(でいそにん)」のように終日端坐し、

門生にも常に静坐を勧めたといわれる。

朱子はこの静坐の法をその師・李延平から学んだが、

のちに、単に静坐するだけでは目まぐるしく移り変わる日常の「動」の場に対応できぬと悟って、

動静を貫くものとしての程伊川の「敬」を存養の方法として強調した。

 

 

 

 

別のところにはこう書かれてあります。

 

 

 

【現代語訳】

 

ある人の質問「静坐であれ事態の対処であれ、すべて心を集中させようとすべきなのですね」。

 

 

先生「静坐というのは坐禅や入定(にゅうじょう)のように、

思念を断ち切ろうとすることではない。

ただこの心を収斂させて、つまらぬ思いに逸(そ)れてゆかぬようにさせることであって、

そうすればこの心は湛然(たんねん)として無事となり、おのずと“専一”になる。

何か事態が出来(しゅったい)しても、事態に応じた対処の仕方ができ、

その事態が消えるとふたたび湛然となる。

一つの事柄から二つ、三つと惹(ひ)き起こしてはならぬ。

そのようにすれば雑然として統一がなくなり、どうして“専一”にできようか。

『文王 ようようトシテ宮ニ在リ、粛粛トシテ廟ニ在リ、

顕(あらわ)レザルニモ亦タ臨ミ、射(いと)ウ無キニモ亦タ保』ったさまを見るだけで、

“敬”とはまさにこうしたことだとわかる。

むかしの人は子供の時からこの勉強をしたから、

掃除をする際の目上の者に対する帚(ほうき)の使い方から、

詩の学習、音楽と舞踊の学習、弦歌の学習に至るまで、すべて心を集中させようとした。

たとえば、射を学ぶ時、心がもしそこになかったなら、どうして命中させられるか。

馬術を学ぶ時、心がそこになかったら、馬を乗りこなせっこない。

書や数の場合でも同じだ。

いま、それを子供の時からちっともやっていないのは、もうどうしようもないとしても、

いまからでも是非やってゆくべきだ。

もしこの勉強をやらずに、本を読んで哲理を見ようとするのは、

ちょうど家を建てようとしても土台がなく、かつ柱を据える場所がないようなものだ。

今まあいってみなさい、あんなあくせくした心で

はたして“道理”と交流することができるかどうか、

聖賢の心とぴったり合致し得るかどうか。

いまこの心を求めるというのは、まさしく基礎を立てんがためなのだ。

この心が光り輝いて、主体を確立させ、

かくて学問すれば、まちがいなくあるべきところに行きつけるのだ。

もし心が雑然として混乱し、統一がないままに学んでいったなら、

いったいどこで実を結ぶというのか。

だから程先生がかならず“敬”というところで勉強するように教えられたのは、

まさにそのためであった」。

 

 

 

 

むろん朱子においても「敬」がその方法上の中心課題であったことはいうまでもなく、

彼は「敬字の工夫は乃ち聖門の第一義なり、徹頭徹尾、頃刻も間断すべからず」

といいきっており、あらゆる工夫が「敬」に収斂される。

ところで、伊川や朱子において「敬」とは「主一無適」もしくは「整斉厳粛」と定義され、

本来「敬」という言葉がそうであったような、他者に対する敬意の表現から、

自分自身に対する心のあり方に転位されており、

また「静坐」や「坐禅」のような具体的な行動様式をもたず、

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)がそのまま「敬」の場となる。

 

 

 

 

まあ、このように書かれてありました。

 

 

 

これは、一読と言わず、何度も繰り返しご覧になられて下さいね。

 

 

 

 

 

 

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