2013年5月9日
真吾オジサンの雑感
下学上達について。
下学上達(かがくじょうたつ)は儒教で言います。
広辞苑には、
【下学上達】 かがくじょうたつ
[論語(憲問)] 日常の身近な所から学んで、次第に深遠な学問に進んでいくこと。
こう書かれてあります。
折角なので、論語のほうもご覧いただきましょうね。
子曰、莫我知也夫。
子貢曰、何爲其莫知子也。
子曰、不怨天、不无人、下學而上達、知我者其天乎。
こんなことも論語の解説に書かれてありました。
朱子は曰う、
「天に得られずして天を怨みず、人に合わずして人を尤(とが)めず、ただ下学して自然に上達するを知る。
これはただ自ら己を反(かえ)りみて自ら脩め、順序に循ってようやく進むだけで、
甚だしく人とちがったことをして人に知られようとするのではないことをいうのである。
しかし深くその語意を味わえば、その中に、自ら人には知られないが天が独り知る妙味のあることがわかる。
蓋し、孔門の中でただ子貢の智はほとんどこれを知ることができるから、
特に語ってこれを発したのに、惜しいかな、まだ悟ることができなかった。」
こう書かれてありました。
平々凡々の日常生活でも、こういう気持ちで過ごしたいものですよね。
学ぶことは、何も学術書に向かっているときだけそうなのだ、というものでもないでしょうからね。
これは何も儒教・朱子学ではなくても、こうあれたらいいなぁ〜と
何となくなのですが思いますね。