2013514

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

相撲について。

 

 

 

 

先日、家に郵便で届きましたものに面白いことが書かれてありました。

 

相撲のことが書かれてあったのですが、これが面白かったのです。

 

今回の雑感・次回の雑感はこれについて書きましょう。

 

 

 

 

 

すもう――という言葉は、争うという意味で、「相撲」という文字は、相打つから来ているそうである。

「角力」は力比べということで、ブフ(モンゴル相撲)やシルム(韓国相撲)と通じる格闘技である。

その競技者のことは、日本では古来相撲人(すまいびと)と呼ばれていたが、

江戸時代になって力士(りきし)となった。

金剛力士のように、神仏を護る意味合いがあったのであろう。

 

元々は、ふたつの集団の代表者が戦って勝った方が五穀豊穣を約束されたり、

水田の神様と戦って豊凶を占うために、相撲が取られていた。

相撲人とは、神主や巫女のように、神の意志を窺い知ることができる特別な能力者と見なされており、

奉納相撲や相撲神事によって、その伝統が繋がってきた。

瀬戸内海の伊予・大三島・大山祇神社の“一人角力”などは、まさに精霊を相手に相撲を取る神事であろう。

 

だが、現代の大相撲の原点は、平安朝から4百年余り続いた「相撲(すまいのせち)」にあるとされる。

舞楽を伴う宮廷の秋の催事である。

農耕儀礼のみならず、服属儀礼の意味合いがあったと、『相撲の歴史』(新田一郎)に書かれてある。

相撲節を実行するために、相撲司という中納言、参議、地従などの身分の貴族が執り行ったのだ。

相撲節はしだいに衰退したが、近世になって復活する。

そのときに吉田司家が誕生したという。

 

やがて、相撲は武家に武術として取り入れられ、源頼朝は鶴岡八幡宮の祭事に、

「競馬(くらべうま)、流鏑馬(やぶさめ)、相撲」を三大武術として披露した。

これは長らく、武家によって嗜まれる武術として伝わり、

戦国武将も競って相撲を取り入れた。

信長などはその最たる者である。

 

 

 

 

 

今回はここまでにしておきましょうね。

 

この続きは次回の雑感で。

 

 

 

 

 

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