2013年5月19日
真吾オジサンの雑感
中庸について。
今回の雑感も儒教のことです。
「中庸」を読み直しております。
真吾オジサンはアンダーラインを引く癖がありまして、
何度も読んでいる本はアンダーラインだらけのようなことになっているのです。
そういう本は本当にアンダーラインだらけでして、
文章の8割くらいそうなっている本もそう珍しくはないのです。
これは仏教書であれ、聖書であれ、四書五経であれ、新聞であれ、雑誌であれ、そういう風になっております。
こうすることで後で読み直す時には便利なことも多いのですが、気持ちを入れ替えて読もうとするときには、
このアンダーラインがどこかうるさく思えるものでして、このアンダーラインを全部一度消すこともあるのです。
「中庸」もそういう風になっておりましたので、このアンダーラインを消しゴムで全部消した上で改めて読み直しております。
流し読みしては、また最初からじっくりと味わうように読むようにしたり、
そこに出てきます、気になりました漢字を康熙字典を使いまして調べたりしたりもしております。
こういうことは別に金にも名誉にもなることでもないのですが、どこか充実した時間を過ごせたような気にはなりますね。
まあ、人にはこういう時間も大切だなぁ〜という気にはなりますからね。
途中まで読んでは、また最初から読み直す。
これを繰り返したくなるような書物はいいですね。
そこで使われている漢字の使い方まで気になる書物というのはいいですね。
真吾オジサンはそう思いますね。
ネットの世界は、−自戒を込めてなのですが−文章が非常に拙いですからね。
これは本当はいいことだとは思えませんからね。
本当はもっと文体とか、漢字の使い方にまでこだわりを持って表現するのが正しいと思いますからね。