2013年5月21日
真吾オジサンの雑感
「強」について。
今回の雑感も中庸のことについて書きます。
「中庸」の中に「強」のことが書かれてあります。
子路という勇ましい人が孔子にこの「強」のことを聞いたのです。
これを引用しましょう。
子路(しろ)強(きょう)を問う。
子曰く、南方の強か。北方の強か。抑(そもそ)も而(なんじ)の強か。
寛柔(かんじゅう)もって教え、無道(ぶどう)に報(ほう)ぜざるは、南方の強なり。
君子これに居(お)る。
金革(きんかく)を袵(しとね)とし、死して厭(いと)わざるは、北方の強なり。
而(しか)して強者(きょうしゃ)これに居る。
故に君子は和(か)して流(りゅう)せず、強なるかな矯(きょう)たり。
中立して倚(よ)らず、強なるかな矯たり。
国(くに)道あれば塞(そく)を変ぜず、強なるかな矯たり。
国道なげれば死に至るまで変ぜず、強なるかな矯たり。
[通解]
子路は勇を好む人であった、故に「いかなるかこれ強ぞ」と問うた。
子いわく、強には三種あり、南方の強か、北方の強か、それとも汝(なんじ)が行うべき強か。
寛穏(ゆるやか)にして柔和(にゅうわ)、もって人の及ばざるものを教え、
もしあるいは無道横逆(ぶどうおうぎゃく)をもって我を犯す者あるも直ちにこれを受けて報(むく)いざるは、
人の忍び難きところを忍ぶものであって、風気柔弱(ふうきにゅうじゃく)なる南方人の強とするところである。
これその手厚いところ、君子の道に似ているが故に、寛厚(かんこう)の君子はこれを我が居(お)る所とする。
金革を袵とし戈(ほこ)を枕にしてこれに安んじ、たとい戦って死するも厭い悔ゆる意なきは、
人のなし難きところをなすもので、風気剛強(ふうきごうきょう)なる北方人の強とするところである。
これすなわち血気の勇にほこる強者の居る所である。
この二つは共に汝の務むべき強の道でない。
故に盛徳(せいとく)の君子は、人と相和(あいわ)すれども流れて節(せつ)を失うことがない。
これこそ矯(きょう)として強き真(しん)の強である。
卓然(ちゃんと)中立していずれにも倚(よ)らず。
矯として強き真の強である。
国家に道行われて相当の位置に達するも、未だその志を得なかった時の守る所を変ぜず、
いわゆる富貴も淫(いん)する能わざるものであって、これこそ矯として強き真の強である。
国家に道行われず、自分も志を得ずとも、死を守って道を善(よ)くし、たとえ死んでも平生(へいぜい)の節を変えず、
いわゆる威武(いぶ)も屈する能わざるものであって、これこそ矯として強き真の強である。
この四つこそ汝の当(まさ)に務むべき強の道である。
この章は孔子が子路に教うるに、血気の勇を抑えて道義の勇を務むべきをもってしたのである。
こう書かれてあるのですが、「金革」の「金」は「刀剣や斧戈(ふか)の類」で、
「革」は「甲冑(かっちゅう)の属」だそうです。
孔子ともなりますといいことをおっしゃいますよね。
ストリートレベルの「強」なんかを有難がるよりも、孔子のおっしゃられましたことに耳を傾けるべきですよね。
このほうが本当のことだと思いますね。