2013年5月24日
真吾オジサンの雑感
自生の花について。
この雑感は2013年5月13日に書いたものなのですが、
広島市ではあちらも花、こちらも花といった感じです。
どれもキレイだなとは思うのですが、
でもこうした花は自生したものではないものが多いですよね。
これはこれでいいと思うのですが、真吾オジサンなどは自生したものも好きですね。
白百合の、野趣の中の気品とでも言いますか、ああいうものにも心惹かれますね。
真吾オジサンはこういうことにも詳しくないのですが、
自生している白百合を鉢に移して育てますと、どうなるのでしょうね?
自生しているときのほうが、長持ちするものなのか。
それとも、放置することなく愛情を持って
その白百合をずっとお世話できる人のもとにいたほうが長持ちするのか。
どっちなのでしょうね?
「やはり野に置け」ということになるのか否か…
放置しても自生できる植物でしたら、そのほうが強く頼もしくはなれそうな気もしますが、
しかし、台風とかがやってきますと、兎も角まずは鉢に移動させておかないことには、
それどころではなさそうにも思いますしね。
でも、自生できる花というのはいいですよね。
植物の面倒を見るのも、結構大変みたいですからね。
夏も本当に暑くなってきますと、庭の植物のことが気になって、
外に遊びに出ない高齢者の方もいらっしゃいますからね。
こういう方は夕立があると「今日は楽でいい」とか言っておられますよね。
菊作り汝(なんじ)は菊の奴(やっこ)かな 蕪村
蕪村の句にこういう句があるのですが、これはこれで大変そうですもんね。
放置しすぎたら流石に枯れてしまうかもしれませんが、
そこそこ放置しておいても大丈夫な花のほうが楽チンでいいですよね。