2013年6月3日
真吾オジサンの雑感
人を愛して親しまれずんば、其の仁に反れ。
「人を愛して親しまれずんば、其の仁に反れ」
これは孟子のことばです。
離婁(りろう)章句上にこう書かれてあります。
孟子曰、愛人不親、反其仁、治人不治、反其智、禮人不答、反其敬、
行有不得者、皆反求諸己、其身正而天下歸之、詩云永言配命、自求多福、
孟子曰く、人を愛して親しまれずんば、其の仁に反(かえ)れ。
人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。
人を礼して答えられずんば、其の敬に帰れ。
行ない〔欲する所を〕得ざる者あれば、皆諸(これ)を己に反(かえり)み求めよ。
其の身正しければ而(すなわ)ち天下之(これ)に帰せん。
詩に永言(ながく)命に配(かな)い、自ら多福を求むといえる〔は此れこれを謂うなり。〕
孟子がいわれた。
「人を愛しても相手から親しまれない時には、
〔人を怨まずに〕自分の仁愛の心が足りないからではないかと反省するがよい。
人を治めてもうまく治まらない時には、
〔人を悪(にく)まずに〕自分の知恵が足りないからではないかと反省するがよい。
人に礼を尽くしても相手がろくに答礼をしない時には、
〔人を尤(とが)めずに〕自分の敬意が足りないからではないかと反省するがよい。
いつもこのように自分の行為に対して相手の態度が期待にそわなかった場合には、
〔人を責めずに〕すべて自分自身に反省して、その原因をよく考えて見るがよい。
さすれば自分の身も心も真に正しくなって、必ず天下の人もみな帰服してくるものだ。
詩経にも『末ながく天命に従ってふるまい、自らの限りない幸福を求めよ』
といっている〔のは、つまりこのことをいったものだ〕。」
こう書かれてありました。
なかなかこうはできないものですよね。
ただ、他人を見ておりますと、滑稽なまでに無謬性を保ちたがる人が非常に多いのです。
兎に角、何か上手くいかないことや、思い通りにならないと、その原因を全て他人のせいにしたがる人が多いのです。
この平成濁世のことですから、他人に原因もきっとあることでしょうけれど、
一方で自分にもどこかに問題はなかったのかもついでに考えたいものですよね。
他人を見ておりますとこういう気持ちになりますね。
相手の人がよほどのぼんくらならば、相手に上手くいかなかった原因がほぼ全てある場合もあることでしょうけれど、
相手の人が、まあ人並みか、人並み以上の人でしたら、愛されないとか、治めることが出来ない場合には、
この孟子の言葉をちょっとくらいは思い出すことはあってもいいように思いますね。
逆に言いますと、こういう風に全くできない人でしたら、−ご本人の主観的にはどうだか知りませんが−
悪質クレーマーといくらも変わることはない人のようにも思いますね。
かかるぼんくらは、ただのやくざものに過ぎないとも思いますね。