2013年6月13日
真吾オジサンの雑感
徒然草について。
久ぶりに徒然草からの引用です。
平成濁世に揉まれ続けておられる方はこういう気持ちにもなられることでしょうね。
第七十五段
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。
まぎるゝ方なく、たヾひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外(ほか)の塵に奪はれて惑ひ易く、
人に交はれば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。
人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。
その事、定まれる事なし。
分別みだりに起りて、得失止む時なし。
惑ひの上に酔へり。
酔の中に夢をなす。
走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、
事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」
とこそ、摩訶止観(まかしくわん)にも侍れ。
こう書かれてあります。
こういう気持ちにもなりますよね。
そうはいいましても、なかなかこうは出来ないことでもあるのですけれどね。
ちなみに摩訶止観というのは、仏書で天台宗で非常に重視される書だったと思います。
この雑感には、仏教・儒教・神道などなど、なんでもありで書き続けております。
ですからご覧になられている方は草臥れるかもしれませんが、
まあ関心のあるところだけでもご覧いただければいいなと思うて書いております。