2013619

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

卑俗について。

 

 

 

 

広辞苑にはこう書かれてあります。

 

【卑俗】 ひぞく

いやしく俗っぽいこと。下品なこと。低俗。そういう人。

 

 

ついでに低俗は、

 

【低俗】 ていぞく

低級で下品なこと。

 

 

低級は、

 

【低級】 ていきゅう

低い階級・等級。また、程度が低く劣っていること。

 

 

こう書かれてあります。

 

 

低俗な文化といえばあれこれとあると思いますが、

その中にも「いき」の文化もあったりもするので、

まあそれはそれであってもいいようにも思うのですが、

一方で、所詮のところは低俗な・卑俗な文化であるに過ぎないことも

知ってはおきたいものですよね。

 

 

折角なので、俗も広辞苑から引用しておきましょうね。

 

 

【俗】 ぞく

@   一般のならわし。土地の習慣。時代の風習。「風俗・民族」

A   僧でない世間普通の人。「俗名・還俗(げんぞく)」

B   世間・世の中。また、世間なみ。凡庸。ありふれていること。「−に言う」「世俗・通俗・俗説・凡俗」

C   風流でないこと。卑しくてみやびやかでないこと。「低俗・俗悪・俗物」⇔雅

 

 

こう書かれてあるのですが、Cの意ですよね。

 

この平成濁世では、

「どこに雅なことがあるのか…?」

という気持ちになりもするのですが、

でも本当はみやびやかなこと・世界のほうがいいのだ、とは思いたいですよね。

 

卑俗なことに過ぎないことに心奪われることも誰しもあることだとは思うのですが、

出来ればそこから卒業できるほうが本当はいいのでしょうね。

 

なかなかそうはできないのではありますが。

 

 

でも、卑俗な世界なりに、よくありたいものですよね。

よりよくありたいものですよね。

 

 

 

でも、この俗の程度を見分けるのはどうすればいいのでしょうね?

 

 

真吾オジサンなどは、そこの世界・空間で使われている言葉遣いに注目されるのも一つだとは思いますね。

言葉ではなくても、文章の文体とかをご覧になられますといいとも思うております。

 

その人となりが隠しきれない面があるとは思いますからね。

 

そこの世界の多くの住人がやくざな言葉遣い・文体を好むと言いますか、そうしているようでしたら、

そこの世界・空間は卑俗で、程度が低いと思うてもいいように思いますね。

仮にそこの世界・空間が社会的な知名度はあってもね。

 

これね、2ちゃんねるを見ると分かるでしょう?

真吾オジサンがそう書くのも多くの方にご納得して頂けるはずだとは思いますね。

 

 

それなりの地位の方って、何かの拍子で卑俗な言葉を出してしまわれることもあるのですが、

そのあとに直ぐに

「おっとっと… こういう言い方はしてはいけませんよね」

とか言われるものでしょう?

 

これが、ぼんくらですと、そんなことはまったく思うこともなく、

居直ってすらおるとしたものですからね。

 

 

仕事柄、あまりに上品に過ぎると

ほとんど誰からも相手にされなくなる仕事というものもあると思いますが、

こういう場合はしようのないことでしょうけれども、

でもできれば正しい言葉遣い・文体でありたいものですよね。

 

 

ブログの記事でも、twitterのツイートでも、目に余る文章が多いのでそんなことを書きました。

 

 

 

実は、真吾オジサンも反省しまして、最近では絵文字を使わないようにしました。

 

絵文字を使ったほうが感情が伝わりやすいようにも、以前は思わないでもなかったのですが、

やはり所詮は変な文章に過ぎないですしね。

 

絵文字を使わないとこちらの気持ちが伝わらないような人は、もう来なくてもいいよ、

と最近では居直っております。

 

 

この雑感も、所詮は卑俗なことばかりを書いているに過ぎないのではありますが、

それなりによくしようとも思うてはおります。

 

 

 

ついでなので、俳句の世界のことも書いておきましょうか。

 

俳句の世界のことを、多分多くの方は上品なことくらいにでも思うているのでしょうけれど、

俳句というのは、もともとは「俳諧の発句」を正岡子規が縮めて俳句と言うたので

俳句となったのだったと記憶するのですが、

「俳諧」は「滑稽」なのです。

 

なので、そう上品なわけもないと思うのですが、

どういうわけか、俳句をされておられる方の多くの人も、

世間もそう思うている節はありますね。

 

特に女性はそういう傾向があるように思いますね。

 

 

まあ、確かに日常生活で多くお会いする人のことを思いますと、

俳句をされておられる方は、確かに行儀はいい方が多いですね。

 

 

まあ、松尾芭蕉が「高く悟りて俗に帰る」とか言うてはおりますけれどね。

 

 

 

でも、実態は嫉妬渦巻く世界で、

足の引っ張り合いなんて日常的だったりで、

それもかなり執念深かったりもするのです。

 

なので、そう上等な世界とも思えないところはありましたね。

 

これね、選者クラスの人でも同じことですね。

こんなものでしたけれどね。

 

 

 

将棋の世界は結果がはっきりとでるので、

ある意味スッキリしたところはあるはずですが、

俳句の世界って、こういえばこうができる面が多いのです。

 

それが背景にもあって、そういう風になっているなと思うたりしておりました。

 

 

 

将棋の世界の人は、俳句の世界の人の行儀の良さとか、

言葉の使い方・ものの言い方などは学ぶべきところもあるはずだと思いますよ。

 

俳句の世界の人は、将棋の世界のスッキリした面を

見習うところもあるはずだとも思いますけれどね。

こういえばこうの面が多すぎですし、

それを悪用しているのもどうかと思いますからね。

こうした陰湿な面も考えものですからね。

 

 

また、話がまとまりのないことになってしまいましたね。

 

反省。

 

 

 

 

 

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