2013623

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

新米長玉と徒然草について。つづき

 

 

 

先日、同じ題名で記事を書きましたが、

書き忘れましたことがありますので、書いておきましょうね。

 

 

第百八十六段

 

吉田と申す馬乗りの申し侍(はんべ)りしは、

「馬毎(うまごと)にこはきものなり。

人の力争ふべからずと知るべし。

乗るべき馬をば、先づよく見て、強き所、弱き所を知るべし。

次に、轡(くつわ)・鞍(くら)の具(ぐ)に危(あやふ)き事やあると見て、

心に懸る事あらば、その馬を馳(は)すべからず。

この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。

これ、秘蔵の事なり」

と申しき。

 

 

こう書かれてあるのですが、

馬をコンピュータ将棋、轡・鞍を戦型に置き換えますといいと思います。

 

どう逆立ちしても、誰であれもうかなわない面がコンピュータ将棋にはもうあるのです。

しかし、全ての面においてそうなのかと言いますとそうとも言えないわけです。

 

個々のコンピュータ将棋の強い面・弱い面を

強い人でさえも知る必要がもうあるのです。

 

 

そういうことを知っただけではなく、

選択します戦型も心に懸かることがあれば

それを避けるに越したこともないわけです。

勝てる確率を高めたいのでしたらね。

 

 

かく思えば、コンピュータ将棋も多少なりとも御し易くもなると。

 

かく思えれば、マイボナ(Bonanza6.0)にもボロPCならば、

二枚落ち戦の上手でも勝ちうるわけですね。

 

徹底的に、強い面を出させないようにし、

徹底的に、弱点をつくわけですね。

 

 

 

新米長玉が世間から再評価される日は

きっとまだまだ先のことでしょうけれど、

真吾オジサンなどは米長邦雄永世棋聖の頭の柔らかさを思いますね。

 

 

プロ棋士・女流棋士・コンピュータ将棋開発者などの多くの方は

まだ新米長玉を高く評価されていないようですけれども、

これは色々な背景がありすぎてそういうことになっているのだと思いますね。

 

プロ棋士の棋力・人間の能力を

過剰に強くまたは弱く思い過ぎたりしているので、

どうもそういうことになっているのではないかな?

と真吾オジサンの目には見えますけれどね。

 

米長邦雄永世棋聖は、虚勢を張らずに、強いものは強いと認められたので、

では私はどうすればいいのか?と話が進んだのでしょうけれど、

ほかの方は、強いのに強くない、私はそんなものは認めない

仮に今は勝てなくても努力次第でいつの日にかは普通のことのように

ほとんど全て勝てるようになるはずだなどと思い続けているので、

こういう風になっているようにも見えますけれどね。

 

もう人間がどう努力をしたところで追いつけない面もあることも知らないと駄目ですよね。

誰であれ、人間ではマネができない面が

コンピュータ将棋にはもうあることも知りたいですよね。

 

 

世間の様々な雑音に流されることもなく、

人間の弱さ・強さを冷静に見つめることが出来ました米長邦雄永世棋聖は

立派であったと真吾オジサンは思いますね。

 

 

 

 

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