2013722

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

負けた悔しさはバネにするべきなのか?

 

 

 

 

勝負事の世界って、必ずと言っていいほどに

 

「負けた悔しさをバネにして、今後にいかせるよう頑張ります。」

 

こういう風にいいますよね。

 

 

 

こうでない人などは、学生の頃に体育の先生に

 

「負けて悔しくないのか!!!」

 

とか怒鳴られたりしますよね。

 

 

 

まあ、ごもっともなことだな、と思いもするのですが、

 

真吾オジサンなどはこれで阿修羅なことになるとも思いますね。

 

 

 

真吾オジサンに言わせれば、体育の先生のほとんどは阿修羅な人なんですよ。

 

自分が阿修羅なものなので、他人も阿修羅にならないと気がすまないのです。

 

 

 

「世間の厳しさがお前には分かっていない!! この俺様が教え込んでやる!!」

 

まあ、こういうことでしょうね。

 

 

 

しかし、この調子ではそもそもの戦う目的を見失って、

 

ただ単に戦って勝利すること自体が目的になってしまうと。

 

これが良くないことのように思いますね。

 

こうなりますと、不毛な争いということになるでしょうからね。

 

 

 

 

イスラエルを見ると、もうお互いにそもそもなぜ戦うのかを忘れているように思いますね。

 

お互いに落としどころとかを思うて争っているのだろうか…?

 

こんな気にはなりますよね、あそこを見ておりますとね。

 

 

 

そんなことに精を出しているよりも、お互いに手を組んで、

 

ドンパチをしなければ、企業とかだって呼び込みやすくもなるはずなのです。

 

産業が育つはずなのです。

 

ドンパチを年から年中しているようなところに、

 

どこの会社が大きな額の設備投資なんかするのか。

 

そういうことになりますよね。

 

 

 

北朝鮮のように仮想敵国をことさら強調して、それを内部の求心力にするようなこともあって、

 

いよいよ阿修羅なことにもなりますよね。

 

 

 

 

何のために戦うのか、戦うだけの価値はあるのか、代替的に満足を得る方法もあるのではないか、

 

こういうことも思いたいですよね、戦う前にはね。

 

 

 

戦う目的のある・価値のあることでしたら、負けた悔しさをバネにすべきだと思います。

 

ただ、阿修羅なことに過ぎない場合には、負けた悔しさをバネにするよりも…という気は致しますね。

 

 

 

不毛な争いに振り回され続けるよりは、水に流すとか、もう忘れてしまうことのほうが、

 

長い目で見ますと、幸多きことのように思いますね。

 

 

 

スクラップばかりあって、ビルドのない関係は良くないことですよね。

 

 

 

 

 

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