2013年7月30日
真吾オジサンの雑感
忌火について。
「一個人」の「日本の神社の謎」に
「火鑽(ひきり)と火祭り」というのが書かれてありました。
今回の雑感はこれを引用させて頂きましょうね。
火鑽(ひきり)と火祭り
清浄な火の浄化力がマツリには欠かせない
神事では物忌みを経た者が鑽り出した清浄な火が重要
人類は火を利用することで光を得、暖を取り、調理もできるようになった。
火の利用こそ文明のはじまりであり、
火を使うようになったからさまざまな信仰も生まれたといえる。
「国譲り神話において、大国主命をもてなした櫛八玉命(くしやたまのみこと)が、
新たに熾(おこ)した火でその饗膳を調理したのというが
鑽火(きりび)にかんする記事の初見です。
神事においては厳重な物忌を経た者が
火鑽であらたに清浄な火を熾し、これを用います。
この火を<忌火(いみび)>といいます。
本居宣長は火も穢(よご)れることがあり、
火の穢れがもろもろの災厄の原因になると主張しています。
伊邪那岐(いざなぎ)が黄泉の国にいった穢れを祓ったときに生まれた
禍津日(かつひ)神が荒ぶると火が穢れるというのです。
ですから、神事においてあらたに火を鑽(き)りだして
清浄な忌火を得るということはひじょうに重要なのです。
伊勢神宮などでも、神事のさいには忌火を鑽りだして
神饌の調理などにはすべてこの火が用いられています。
この忌火を得る火鑽そのものが神事になっている例は全国的に見られます。
出雲の熊野大社は火の発祥の神社とされていて、
ここの鑽火祭(さんかさい)(亀太夫神事)はとくに有名です」
古代のイラン高原で発生したゾロアスター教は火そのものを礼拝の対象とした。
その後インドで成立した密教においても護摩(ごま)を焚き、
その炎で煩悩を焼きつくし、魔を祓うとされる。
このような火炎信仰は世界各地で見られるが、じつは日本もその例外ではない。
「日本では火も、水と同様に浄化力があると考えられてきたのです。
日本各地にはさまざまな火祭りがありますが、
その多くは火の浄化力をもって穢れを祓うという性質ですね。
那智の火祭として有名な熊野那智大社(和歌山県)の扇祭では、
主役は那智の滝をかたどって扇で装飾した扇神輿です。
この扇神輿を大松明が取り囲み、神輿に火の粉をあびせかけます。
火炎と火の粉によって神輿を清めるのです。
鞍馬(由岐神社・京都)の火祭なども火炎の浄化力が発揮される祭礼です。
仏教行事ですが、東大寺の修二会(しゅにえ)(お水取り)も
おなじように火の浄化力を感じさせる行事ですね」
こう書かれてありました。
この「一個人」、面白いですよ。
まだ、在庫があるのかどうか知りませんが、
関心を持たれた方はご覧になられますといいと思いますよ。